BAR(スタア・バー) 岸久

本心で向き合うことがバーテンダーにとって何よりも大切なこと

STAR BAR(スタア・バー)
岸 久

BAR(スタア・バー) 岸久

■きっかけは頼まれて始めたアルバイト。「何かしないと」という漠然的な意識の中からスタートした軌跡

IBA 世界カクテルコンクール優勝や、東京マイスター、「現代の名工」をバーテンダーとして初めて受章されたり、輝かしい経歴をお持ちですが、もともと幼少期のころからバーテンダーのお仕事を目指していたのでしょうか。

岸氏:
いえ、最初からバーテンダーという職種を目指していた訳ではありませんでした。
子供の頃にはテレビなどを介してそういう仕事があるということは知っていたのですが、当時はもちろんお酒を飲むこともできないですし、興味を持つこと自体がありませんでした。

きっかけは新橋のレストランバーでアルバイトを始めたこと。実際にやってみてはじめて「このお仕事は面白いな」と感じたんです。

私の幼少期とは違って、今の方はいろいろな情報を得ることができるので自らから「バーテンダーを目指したい!」と考える方も多いと思いますが、私の時代はそうではありませんでした。

アルバイトといえば、その他にもたくさん選択肢のあるもの。その中からなぜ「バー」というジャンルを選ばれたのでしょうか。

岸氏:
実は自分から志望したのではなく、いわゆる人づてで頼まれて始めたのです。アルバイト自体は1年くらい続けたでしょうか。

その1年という短い期間で、その道を目指したいと思ったのですね。

岸氏:
その時はアルバイトとしてしか働いた経験がなかったので、「何かしないと」という漠然的な意識しかありませんでした。

新橋のレストランバーのオーナーが、昔の華やかだった頃からバーテンダーとして活躍されていた方で、仕事の面白さとかいろいろなお話を私にしてくれたのです。ですが、その方の様にこのお仕事を長くやっている方が当時は少なかったのです。

当時のバーテンダーと言えば、私が21~22歳の頃ですが、言い方が少し悪いですが、自分より少し年上の30歳前後の方が、我が物顔で我流にやっているイメージでした。しかし正直「そんなものじゃないよな、この仕事は」と思っていました。

バーというものはまだ当時、その土地にあるから来てもらえる場所、というものでしかなかったんです。ですから、場所ではなく、人を目当てにお客様に来ていただくにはどうしたらいいか、というのを当時から意識しました。

自分がそれをやってやろう、など立派なものではなく、単にバーという業種の構造上、そうあるべきだというただの個人的な考えでしたけどね。今だからそう思うのであって、当時はこんなに考えがまとまってはいないですし、本当にボヤッとした想いでしたが…。

ただ、そんな意識はあったので、きちんとこの道に進みたいと考え、日本バーテンダースクールに行ったのです。

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■前会長の意思を引き継ぎ、バーテンダーとしての技術や心を教えるバースクールの校長へ就任

岸さんが校長を務めているバーテンダースクールもあるとお伺いしています。当時通われていたスクールとは違うものなのでしょうか。

岸氏:
当時通っていたスクールとは別物です。私が通ったスクールは、もともと日本バーテンダー協会(※2)が設置した学校だったのです。昭和4年からその歴史が始まっていますね。

その当初の会長が残念ながら亡くなってしまって…。いったんはスクールは閉じることになりました。
ですが、当時からスクール自体が卒業したバーテンダーたちの心のよりどころということもあり、誰が引き継ぎ運営するかを議論する機会も少なからずありました。私は会長とも仲良くさせていただくこともあり、「俺が死んだら頼むぞ!」なんて遺言のような言葉も頂いておりまして(笑)。

※2 日本バーテンダー協会(NIPPON BARTENDERS ASSOCIATION)
日本におけるバーテンダーの資質の向上と調酒に関する正しい知識の普及を通じて、調酒、調理技術の向上、食品衛生の推進、職場における衛生的環境の確保を図り、もって国民の福祉と環境衛生の向上に寄与することを目的とする協会

そこで、新たにスクールを作ることになったと。岸さんがその意思を引き継いだということですね。

岸氏:
バーテンダー協会は、昭和45年に厚生省から社団法人の認可を正式に受けていました。その時、協会を作るなら教育機関を設置しなければいけないということで、このスクールができたのが始まりですね。私はその時の理事の一人だったので、私が引き継ぐことになりました。

当時は生徒の数も多かったです。一番人数が多かったのは昭和30年代ですね。入校できなかった人がいたくらい。
スクールで教えているのはお酒の知識の他にも、「ならず者が来た時の対処法」みたいなことも教えています。バーといえば聞こえはいいですが、結局のところ飲み屋ですから。だからこそ「仕事上の気合い」は必要です。

当時のお客様は、もちろん地域性もありますが、伝統ある名士といわれる方もいれば、戦後一代で会社を興して成功している方など本当に千差万別。

皆さんは、行きつけのところにしか行かないですし、私が対応した多くのお客様は後者でしたので、バーテンダーにしても「やらせていただきます!」という気合いがなければ、お客様に怒られてしまう時代でした。

マナーや態度に厳しいお客様が多い時代だったからこそですね。

岸氏:
そうですね。今とはずいぶん層が異なります。

最近は、例えばお客様の目の前で従業員を「ダメじゃないか」と怒ったりすると、見ていたお客様からクレームを頂いたりします。なぜかというと、今のお客様はバーに来てまで「人が怒られる」ところを見たくないんだと思います。

でも、当時の銀座のお客様は、圧倒的に「人を怒っている」側の方が多かった。会社の創業者とか、生まれながらの社長とかね。そうした方にとっては「人を怒る」ということは特別なことでなく、教育上必要なこと、と理解されることが多かったように思います。バーでよく見る光景でしたし、クレームが入るようなことは殆ど無かったように思います。

どちらが良い・悪いということではなく、お客様も変わっていくし、銀座の街も変わっていく。今までそれで良いと信じてきたものも、時代と共に逆に弱点へと変わっていくんです。

バーテンダースクールを卒業した後について教えてください。当初から銀座で働くことを志望していたのですか。

岸氏:
スクールを卒業して、いざお店に配属されるとなったとき、私はもともと銀座ではなく新宿を希望していました。育ったのが武蔵野市で、緑が多い街が好きなんです。だから、中央線沿いでお客様を相手にしたかった。それで、新宿。

ですがその希望とは裏腹に、当時の校長に「お前は銀座が合うから」と強く勧められてしまって。銀座といえば、今も昔も独特の雰囲気。

そこまで言われると、「何か理由があるのかも」と感じ、行くしかないなと思いました。それが銀座に勤めはじめた理由です。

そういった経緯があったとは驚きです。岸さんのパーソナリティが銀座に合っていると校長は見抜いていたんでしょうね!

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