本心で向き合うことがバーテンダーにとって何よりも大切なこと

STAR BAR(スタア・バー)
岸 久

■物事には必ずタイプがある。まず自分が目指すべき道をタイプで判断すること

スクールを出て働き始めたわけですが、単にバーテンダーとして働くだけでなく、ご自身の中でコンクールに出たり、お酒を作るのを突き詰めたいという意識はどの時点で芽生えたのでしょうか。

岸氏:
スクールを卒業してからは、銀座にある会員制老舗バーで働かせていただきました。
当時はまだ私は自分がバーテンダーであるとは全く思っていなかったです。名乗れるほどのスキルも持っていなかったですから。人から言われればわざわざ否定はしなかったですけど、自分ではね。

外国人の同業者とお話しさせて頂くと、同じように感じている方が多いですね。「あなたはバーテンダーなんですか?」とお伺いすると「違います。まだバーテンダーじゃありません」と返ってくるんです。
バーテンダーと呼ばれるためには、少なくとも自分のスキルに自信を持っていて、ある程度のお酒が作れて、しっかりとした知識が備わってないと名乗れないという意識ですよね。

スクールを卒業したばかりの頃は22~23歳の頃でしたので、当時の師匠に知識や技術不足の悩みを打ち明けたときも、「君の悩みはわかってる。でも、そんな悪くないから!大丈夫だよ!」と言ってもらえました。
師匠は技術もあって有名なカクテルもご自身で作っていたり、おもてなしの心もあって、とにかく様々な面でしっかりとした方でした。間近で勉強させて頂いたのは、今でも活きていますね。お店が会員制ということもあって、お客様のことをよく知らないとおもてなしもできないですしね。

そうやって普段から仕事をしていたときに、人には「タイプ」があると気づいたんです。すべてを学ばなければならないという気持ちも大事ですが、どんなに努力をしても伸ばしきれない、生まれ持ったものもあるなと。

自身の特徴を見極め、選択して伸ばしていくということでしょうか。お酒作りと接客、どちらか一方に集中したということですね。

岸氏:
自分の場合は、接客の「タイプ」では無いな、と思いました。師匠が素晴らしい接客をしているのを見て、自分には向いていない、そこで勝つのは難しいと。接客は難しいとつくづく感じていました。

ですから、まずは自身の工夫が非常に表れやすい飲み物に対して、注力をしてみたのです。接客ありきではありますが、まずは飲み物を作るという技術面で定評をいただかないと、お客様からの評価にも繋がらないと思いました。

岸さんが、接客が向いていないと思っていたというのは実に意外です。これをきっかけに、技術が表れやすい”カクテル”の世界に入ったんですね。

岸氏:
私、昔はお酒が一滴も飲めなかったんです。飲まないので、当初は良し悪しという判断が全然つかなかった。ワインスクールに行ったときも「何が何だか」という感じでした(笑)。でも慣れてくると「ああ、なるほどね!なんかわかる!」と、ちょっとずつ違いがわかる瞬間が出てくるんです。

あるとき、お客様に高級鮨店へ生まれて初めて連れて行ってもらってね。「鮨は、初めて食べたとしても、おいしいというのがすぐにわかる!でも、お酒はそうではないぞ」と気づいたんです。

どういうことでしょうか?

岸氏:
つまり、どんな限定品だろうが、高級酒だろうが、初めて飲む人にとっては、酒はただの液体。必ずしも全員にわかりやすく、うまいまずいがわかるものではない。飲んでいく中で少しずつのその違いを理解したり、お酒にまつわる情報なんかも含めて楽しめるようになるもの。そこは、繊細な世界だからこそ、提供する側に技術が求められる、と。

当初からそこに気づいてはいたのですが、いざ飲み物を作ってみてもそれがいいものなのか、自分ではわかりません。となると「人に聞くしかない」と思ったんです。最終的には自分で決めなくてはいけないんですが、人にまず印象を聞く。
ところが、これもまた問題がある。お客様に「これどうですかね」なんて素直に聞いても、お客様も人の子ですから、気に入られてる方だと、味がどうだとしても「いいんじゃない?」なんて優しいことをおっしゃられちゃう。

もし薄かったとしてもその場では「今日は気遣ってくれてありがとう!」なんておっしゃるわけですよ!気遣いの結果ではないのに…(笑)。

人の正直な意見を伺うにはどうすればいいか、と模索していた時に見つけたのがバーテンダー協会が主催するカクテルコンクールだったんです。そこで試してみよう!と思いました。

コンペティションへ参加するきっかけは、飲み物の「味」を客観的に理解するためだったんですね。

岸氏:
はい、私にカクテル作りが向いていた、能力があったからというわけではありません。自分のそういった思考の「タイプ」が、コンペティションに合っていたんでしょうね。

私自身があまり飲めないので、強烈な刺激があるものは作らないで、ある種の万人に受け入れられるものを目指していました。味だけでなく、色がきれいとか飾りがかわいいとか、ストーリー性なんかも重要視していましたね。

例えば「ブルーハワイ(※3)」という有名なカクテルがあります。真っ青で誰が見てもブルーハワイと言われれば納得しますよね。でも、実はそこまで見た目とイメージ、名前が一致するというのはなかなかないのです。「なるほど」と思われるような命名のストーリーも、カクテルには必要なんですね。

※3 ブルーハワイ
ラムをベースとするカクテルのひとつ。ハワイで考案される。ブルー・キュラソーという青のリキュールでハワイの海と空を表現しているといわれている。

ある意味岸さんの戦い方というか、持ち味とマッチしたんですね。

岸氏:
コンクールで評価していただく審査員の意見も、大体一致しているところもあれば、違うところもある。評価頂いた点をもう少し工夫してみたり、自分なりに判断・分析していきました。

バーというのは、もともと海外の文化。アメリカですとか、ロンドンやパリなどが本場。でも、非常に華やかだった時代から、禁酒法が制定されたことによって文化が一回途絶えてしまったわけです。その影響からかバーの雰囲気という社交的な部分は残っていても、突き詰めて一杯のお酒を作ろうという意識がかなり薄れてきてしまったように思います。

そこに対して、別の発展を遂げてきたのが日本。
「もともとは海外のもの」というリスペクトを忘れないでいたからこそ、じわじわと成長を続けてきました。“型”というのを意識し過ぎずにいながら、本質の良さを失わない、じわじわとした変化です。

例えばフランス料理でも、フランス料理の中でいろいろなジャンルがあっていいと思いますが、本質が異なったらそもそもフランス料理とは違う。まずは同じことを繰り返しやり続けて、だからこそ徐々に洗練され、そのなかで違いを作り出していったのが日本なんです。

2000年代に入って、突如として外国の若い世代のバーテンダーの方たちが、その違いがわかる手がかりが日本にあることを知ったらしく、一気に来日してくるようになりました。

まさに、岸さんがIBA 世界カクテルコンクール(※4)で、日本人としては初の優勝をしたころと符合しているのではないでしょうか?

岸氏:
いえ、もう少し後の時代ですね。当時は、東ヨーロッパ勢はまだ共産国だったので、バーというかまだナイトクラブの域を出ないものだったのですが、その中から変わっていこう、お酒を突き詰めようという意識を持つ方が増えてきたんですね。

私のところにも「やり方を教えてください」と訪ねてくる外国人の方が来てくれていて、教えていました。その中の一部の方が、いま世界的に広がっているメーカーのコンクールやレガシーな世界大会で優勝しています。

※4 IBA世界カクテルコンクール
IBA(世界最大のバーテンダー協会)が主催するコンクールのひとつ。加盟各国組織が自国で開催した大会勝利者のみ出場資格を有し、世界No.1を競い合う大会。
岸氏は1996年に日本人初の世界チャンピオンに輝く。

日本が培っていた技術が世界を巻き込んで広がっていったんですね。

岸氏:
そんな風にして、ここ15年ほどは、バーの世界も本当に目まぐるしく変わっているんです。

■自身のお店を持つ前に磨くこと、それはバーテンディング技術ではなく接客にある

バーテンダーのお仕事、一般的な私たちの意見ですが、昔から変わらないものだと思っていました。時代による変化が少ないといいますか。

岸氏:
変化がなければないで、いいんですよ。でも、この業界もサービス業ですから、お客様に満足していただかなければならない。バーテンダーの意見ではなく「こっちがいい」というお客様が比率的多くなれば、そちらを優先しなければならないのです。
それが洗練を呼び、時には変化を起こすんです。例えば、海外の有名な本でも、バーテンダーからも聞いたことがない、日本独特のものは“粘り気”ですね。料理でいう“照り”と一緒でしょうか。

わかりにくいかもしれないので、マティーニ(※5)の作り方の一例でご説明します。小さな氷を入れてステアすると、ピリピリッとしたようなサラサラのマティーニになるんです。一方で、大きな氷で静かにステアすると、少しずつ氷が溶けてくるからか、非常にとろっとして同時に香りも出てくるのです。不思議なことに、粘性に違いが出てくる。

この文化も日本人のお客様が、私たちが出したものに対して、「これいいじゃないか」と徐々に浸透し、受け入れられてきたもの。

そういった意味では私たちが変える変えないというよりも、必然的にお客様によって変わっていくということでしょうね。
私たちも完璧ではないので、聞いたことのない手法やお酒があるんです。そのときこそ、すぐに教えてもらうことが大事。この前は、お越しいただいた欧米の方にも教わる機会がありました。お客様から教わって新しく発見すること、変わっていくことの方が、この世界は多いんです。

※5 マティーニ
ジンベースの著名なカクテル。通称カクテルの王様。
ニューヨークのホテルにいたマティーニという名のバーテンダーが考案したことから由来(諸説あり)。

岸さん自身のお店を持った時のことについてですが、数あるコンクールを優勝していた時はすでにご自分のお店をオープンさせていたのでしょうか。

岸氏:
まだ持っていなかったですね。

銀座の老舗バーに入店させて頂いてから1年半くらいの24歳で、スコッチウイスキー協会のコンクールで初めて優勝したんです。そのコンクールに参加するのは4回目だったのですが、1~3回目は有名な巨匠と呼ばれる人が優勝していました。そんな時に僕がルーキーみたいな形で入っていって、まずはそこからでした。

当時はちょうど89~90年のバブルがはじけた時。お店をやることは気軽なことではない。例えば15坪とかカウンター10席に1つのテーブルがあるお店を開くのに、最低でも5,000~6,000万円以上は必要だったんです。
STAR BARもバーの中では決して特別大きいわけではないのですが、それでも8,000万円はかかりました。もっと広ければそれこそ1億円以上の世界です。

お店を持つことについて何もわからなかったので、お客様として不動産関係の社長様とか著名人が来店されたときに「マンションみたいに物件を買うんですか?」と素直に聞いたことがありました。そしたら「違うよ。権利を買ったうえに、賃貸で毎月高い家賃を払うんだよ」とおっしゃって。

自分のお店を開くには値段もそうですが、相当な覚悟が必要ですね…。そんな中で、成功するバーテンダーに必要なものというのはどんなものなのでしょうか?

岸氏:
私の意見ですが、どちらかというと「技術」のタイプよりも「接客」のタイプのほうが、良いと思っています。
もしマスターが寡黙だとしたらお客様はつまらないし、捕まえられない。神業みたいにすごい技術を持っていようとも、人に伝わらないものなのです。

50年以上バー業界で活躍していた私の師匠はまさに「接客」のタイプでした。
師匠は昭和43年、年齢でいえば34~35歳でお店を立ち上げました。当時のチーフバーテンダーで月給は3万円といってました。その時オープンさせた銀座のお店はカウンターだけの10席の小さなお店でしたが、800万円かかった。年収でいえば22年分ですよ!独力ではやりようがなかったですよね。

なぜできたのかというと、もともと勤めていたお店のオーナーが引退して、お店を閉めることになったそうです。常連のお客様たちに退店のご挨拶をしていると、お客様の方から「自分でやってみたら?お金ならおれたちがなんとかしてやるよ」と言っていただいたらしいんです。結果、本当にお客様たちにいろいろと支援していただいて、お店のオープンに至りました。

すごいお話ですね。つまり岸さんの師匠も、接客というか、お客様といい関係性を築いていらっしゃったからこそ、そのチャンスを頂いたということですね。

岸氏:
師匠のようなケースは時代も違いますし、余程のことがない限り絶対ダメ、軽く考えちゃいけないと今では教えていますけどね。でも、そんな人間関係が築けたからこそですよね。

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