自分自身で イノベーションを起こさない限り、 大きな革命は生まれない。

神戸北野ホテル
山口 浩

■暮らしの中に調理場があった原体験

山口シェフが料理に目覚められたきっかけはどのようものでしたか?

山口氏:
私が子どもの頃、実家は母屋と離れに分かれていて、母屋には祖父母が住んでおり、そこで叔父と叔母が小さな食堂を営んでいました。家の渡り廊下を通って調理場に入れたので、自分で包丁を使ってかまぼこを切って食べたりして(笑)。

近所には化粧品メーカーの工場があって、昼になると大勢が食堂に食べに来るのですが、店に来た時は疲れているのかあまり会話もないけど、食事が進むに従いどんどん元気になって…最後はわいわいがやがやとても賑やか!その頃から「食べ物って人を元気にする不思議な力があるんやなぁ」と思いました。

薪でお湯を沸かして、かつおで出汁を取って…という風な昔ながらの調理場が暮らしの中にある、それが私の原体験でした。

小さな頃に「食の力」を強く感じる日常を過ごされていたのですね。その頃から料理人を目指していたのですか?

山口氏:
それは幼少の記憶ですから、当時は「料理人になる」とは考えていません。進路に悩んだこともありましたし、高度成長期の真っ只中で新しい文化や価値観が流入してきた時代でしたから、「パイロットになりたい」と考えるような普通の少年でした。でもあまり勉強が好きではなかったので、進学して勉強を続ける意味を見いだせずにいました。

そして10代の頃に、勉強を続けるより料理人になって早く社会に出たいと考えるようになったのです。料理を目指す若者は辻調理師学校へ進学するのが王道コースでしたが、金銭的な事情もあって、たまたま新聞広告で見つけた大阪の洋食レストランへ修業に入りました。

洋食レストランでの修行はいかがでしたか?

山口氏:
料理長はホテル出身の方で、コンソメやブイヨン、ベシャメルソースなど…ちゃんとした洋食を作るレストランでした。
上下関係や人間関係がつらいと感じたことは無かったのですが、僕はとても飽き性なので、ずっと同じことを続けるのは嫌でした。野菜を切るならもっと早く、もっと上手に切るにはどうしたらいいだろう?…と考え、よりよくすることを考えました。

例えば、付け合わせで出すキャベツの千切りは若手の仕事だったのですが、先輩に「機械で切れ」と指示される。でも僕は「キャベツを機械で切るために料理人になったんじゃない!」と思い、毎日何十個のキャベツを先輩や同僚が馬鹿にするのも聞かず、全て包丁を使って切りました。

千切りひとつでも「誰よりも一番上手になりたい!」と思っていましたし、いつも技術を向上させることを考えていたのです。ありがたいことに元々手先が器用だったので、最後にはそれを重宝がられて、可愛がってもらえた部分はあったと思います。

そうするうちに「ホテルのフレンチレストランで修業してみたい」と憧れるようになりました。当時、ホテルで働くのはとても狭き門。調理師学校を卒業したエリートしか入れない雲の上の世界でしたが、料理長がホテル出身者だった縁で紹介をしてもらえることになり、「大阪ターミナルホテル」(現在のホテルグランヴィア大阪)の厨房に入ることになったのです。

■料理一本で生きていく覚悟を決めたホテル修行時代

ホテルでの修行はいかがでしたか?

山口氏:
ホテルで修業することになったのは23歳。実はその頃、サーフィンでプロになろうかと考える程に熱中していて…サーフボードメーカーなどにスポンサーになってもらいコマーシャルライダーもしていたのです。

今は想像がつかないかもしれませんが、もっと細かったし真っ黒に日焼けしていて、おまけにロングヘア―(笑)。でもホテルの内定はやっとつかんだチャンス。サーフィンを続けていると生傷が絶えませんし、怪我する可能性もある。そこで内定を機にサーフィンはすっぱりと諦めて、料理一本で生きていく覚悟を決めました。

ホテルにさえ入れば道は開ける、と思っていたのですが…入ってみると全く想像と違いました。入社してすぐの自己紹介では、同期は「〇〇ホテルから来ました、〇〇です」と皆がホテル出身者のエリートばかり。僕は「洋食レストランで働いていた」とは言えなくて…名前しか言えませんでした。

ホテルとレストランでは修行内容も違いましたか?

山口氏:
フランス料理の厨房を希望していましたが、最初の配属先は宴会部門。現場では、シェフが書いたフランス語のルセットが全く読めませんから、とにかく一字一句をまる移しすることからはじめました。またフォアグラなどの食材は、見るのも触るのも初めてで緊張で手が震えました。
僕は捨てられているメニューをゴミ箱から拾い集め、何度も繰り返し辞書で調べて…とにかく追いつこうと必死でした。

そして「フランス語をもっと深く学びたい」と考え、語学学校にも通い始めました。仕事のシフトを先に確認し、空いた日に語学学校の予約を入れるのですが、会議が伸びたりしていけない日も出てきてしまいます。
難しい授業だったので1回休むととてもついていけなくなるので大変でしたが、そんなある日、鬼みたいに怖いシェフが「山口、今日はもういいから帰れ!」と僕に言ってきた。後で知ったのですが、シェフは僕がフランス語を学んでいることを知っていたらしく、それ以来、授業がある日には決まって帰れと言ってくれるようになりました。

部下のことをしっかり見て応援してくださっていたのですね。その後はどのような道のりがありましたか?

山口氏:
宴会部門での仕事は結果的には様々な学びがありましたから、今思えば全て良い経験でしたが、当時はそんな風には思えなかったので、「フレンチに行きたい。フレンチに行きたい」そればかりをずっと考えていました。
そのためには、何百人いる料理人の中で選ばれるようにアピールするしかない。そこで器用な手先を活かして「氷彫刻」の技術を学び、料理コンクールに出場して優勝するなど、努力を重ねていくうちにホテルで少しずつ注目を集めるようになって…フランス料理のシェフが僕を指名で抜擢してくれたのです。

フランス料理のスタッフは全員がフランス帰りで、フランスで修業していないのは僕だけ。念願が叶ってフランス料理の厨房で働き始めたのですが…フランスへ行っていない自分にコンプレックスを感じ始めました。
今、作っている料理が本物のフランス料理だという自信が持てない。自信を持ってフランス料理が作れるシェフになりたい!本場のフランスへ行きたい!と考えるようになりました。

神戸北野ホテル

お問い合わせ
078-271-3711
アクセス
兵庫県神戸市中央区山本通3丁目3-20
各線三宮駅又は新神戸駅より徒歩15分
駐車場:16台
営業時間
11:30~14:00 (L.O.14:00)
18:00~20:30 (L.O.20:30)
定休日
無し