料理を立体的に捉えれば、表現の引き出しは無限に増える

akordu(アコルドゥ)
川島 宙

 

川島宙 akordu(アコルドゥ)

■「自分の料理はどこにあるのか」。シェフになったもののすぐに頭打ちに。

シェフに一番大きな影響を与えた方はどなたですか?

川島氏:
西洋銀座時代の先輩が、僕にとっては師匠です。若いながらも、いろんなことを教えてくださった方で、一番お世話になった人でもあります。「西洋銀座」では、総料理長の鎌田 昭男さんの右腕とも言われた人でした。

その師匠が、神奈川で新たにレストランをオープンするということで、ぜひ一緒に仕事をしたいと思ったのですが、その時はたまたま空いているポジションがなくて、1年ほどは大阪の違うところで働きました。1年後、満を持して神奈川へ行き、師匠の店に呼んでいただいて、都合4年半にわたってお世話になりました。オードブルからソース、デザートまで全部叩き込んでいただいて、自分では何でもできるようになれたと思いました。

そんな師匠の店も、経営権が変わりチームが解散することに。そのタイミングで大阪のレストランが人を探しているということで、今度はシェフとして新しい場所で働くことになりました。先ほども申し上げたように、当時の私は自分では十分になんでもできると思っていましたから、シェフのポジションにも自信がありました。ところが、それがとんでもない勘違いだったと後に気づくわけです。

シェフになって気づいたことというのは?

川島氏:
その時、僕の年齢は27歳。料理の世界に入って10年です。安い店から超一流の店まで、いろんな場所と人のもとで経験を積み、出来ないことはないと感じていました。
実はそれまで僕の給与が10万半ば程度だったのですが、シェフという肩書で採用されると給与が急に30万後半になったんです。世の中そんなものかなと思いました。

しかし、シェフになってすぐに感じたのが、自分の力不足です。これまでに、とんでもない数のレシピをこなしてきたはずなのに、いざシェフになってみると新しい料理が何も考えつかないのです。忙しくなればなるほど、昔のレシピ本を引っ張り出してくるような始末。
自分なりの料理を創ってみても、美味しい料理を創っているという確信がまったくありませんでした。これではダメだと思いました。一人前になって「もう今より上はない」と思っていたのに、気が付けばすぐ頭の上に天井があったようなものです。

その後は?

川島氏:
まだまだ反復が足りない。自分の料理を創ることができるようになるためには足りないことがあると思いました。それでもう一度、師匠のもとで修業をしたいと思い、京都のホテルで総料理長をしていた師匠を頼ったんです。師匠の料理が一番美味しいと思っていましたから。
また一からのやり直しです。師匠のもとで4年間を過ごしました。

そして、自信がついてきた頃に、独立したいという相談を師匠にさせて頂いたんですね。すると、まだ早いと言われました。でしたら、海外に修業に行かせてくださいと言って、師匠の元を離れることを許してもらいました。

フランスではなく、スペインを選んだ理由とは?

川島氏:
一言で説明するなら、スペイン料理が自由だったからです。今はなくなってしまいましたが「世界一予約が取れないレストラン」とも言われた「エル・ブジ」(※注1) をはじめ、スペイン料理の世界では分解・再構築の流れがありました。

フランス料理は「こうあるべき」という姿が明確です。レシピは完璧で、技術があれば、おいしく作れます。そして歴史もあり、その形を打ち破るものはありません。
例えば「牛ほほ肉の赤ワイン煮」。この有名な料理には、多少のレシピの差があっても、基本は誰が作っても牛ほほ肉の赤ワイン煮です。

従来の料理を一度分解して、自分なりに考えて再構築するという発想。自分が求めているものはこれなんじゃないかと感じました。
師匠は当然フランスに行くんだろうと思っていたようですから、スペインといった時は少し驚いていましたね(笑)

そこで、スペインのバスク地方にある高級リゾート地であり、美食の街でもあるサン・セバスティアンにある「ムガリツ」に手紙を書きました。

「ムガリツ」は、世界のベストレストラン50で、3位にもなった店です。そこにどうしても行きたいのですが、僕には何のコネもありません。そこで本屋に行ってスペイン語の辞書とスペインの手紙の書き方の本を買い、1週間をかけて4枚の手紙を書きました。「いつか返事が来るかもしれない」と思っていたら、なんと2日後には返事が返ってきたんです。

「君の手紙の内容はよく分からなかったが、熱意だけは伝わった。とにかく来なさい」という内容です。あまりにも早く決まって驚いたのですが、私以上に驚いたのが当時、2人目の子どもを妊娠中だった妻です。

「スペインで料理修業をしたい」と切り出すと「いいよ。何日ぐらい?」なんて聞いてくるんですが、予定は1年~2年です。それでも快く送り出してくれた妻には感謝しかありませんでした。

※注1:エル・ブジ
「エル・ブジ」は過去にミシュランガイドの三つ星を獲得、世界のベストレストラン50の第1位に何度も選ばれている伝説のレストラン。年間200万件の予約が殺到し、もっとも予約の取れないレストランと言われたが、シェフが過労のため2011年に突然閉店した。

川島宙 akordu(アコルドゥ)

■「おいしさのベクトル」と「自由さ」を手に入れ、自分の料理にたどり着く。

現地でのコミュニケーションは大丈夫だったのでしょうか?

川島氏:
とにかく手紙を出してから2ヵ月後にはスペインに行くことになってしまったので、時間がありません。マンツーマンでスペイン語を教えてくれる先生を見つけたのですが、逆に先生は日本語ができなかったりで、準備不足のままスペインへ行くことに。

「ムガリツ」では実は僕よりも先に働いていた日本人がいて、本来ならば「ムガリツ」では同時に2人の日本人は雇わないとのことだったのですが、僕がある程度日本で料理人としてのキャリアがあるということもあり、特別に受け入れてくれました。

その日本人というは、現在、東京の「リストランテ・ヒロ青山店」の料理長、関口 晴朗さんだったのですが、彼と一緒にいたのは2ヵ月ほどでしたが、簡単なあいさつぐらいしかできない僕を本当に助けてくれましたね。

彼がいなくなってからも、キッチンでのコミュニケーションぐらいは、何とか分かりました。それに言葉が分からない方が、自分の頭で考えて分かろうとするので理解が早いというメリットもあるように思います。そんな感じでスペインでの修業は続きました。

スペインではどんなことを学ばれましたか?

川島氏:
学んだというより、それまでモヤがかかっていた考えがハッキリました。「ムガリツ」があるバスク地方というのは、自分たちの土地をとても大切にする人が多いところで、それが食文化にも現れています。

「ムガリツ」でも、朝に山で摘んでできたハーブを使って料理をしたり、近所のおじいさんが自分で採ってきたキノコを売りに来てそれを使ってみたり。そういう場所なんです。
それに「ムガリツ」があるサン・セバスティアンという街には、星付きレストランがたくさんあり、世界中から美食家がやってきます。そういう土地だからこそ、料理の作り手が自分が生きている周りの環境をきちんと皿の中に投影し、自分たちの料理というのを打ち出しています。

それと似た感覚をずっと持っていたのですが、僕には正しいのか正しくないのかが分かりませんでした。ですが、「ムガリツ」で自由な料理に触れ、自分の考えを料理に投影する料理人の姿を見て、これで良かったんだという気持ちになれました。

フランス料理とスペイン料理の違いはどんな点だと思いますか?

川島氏:
やはり「自由」だと思います。「こうあるべき」という形が明確なフランス料理の世界で育ってきた僕は、自分の料理とは何かにずっと悩んでいました。僕が考えていたのは、20年後、50年後に僕の料理の写真を見た人でも、これは「川島の料理だ」と分かってもらえるものです。そうでなければ、自分が作る理由がありません。

スペインが面白いのは、星付きレストランのシェフが集まって料理の本を出版したりしているんですが、そこに乗っているスペインオムレツは千差万別。みんなまったく違う考え方、作り方を紹介していて、あぁ、それでいいんだと。そうやって料理というものを作っていいんだ、と気づいた時、ある意味で解放されたような気がしました。

また、スペイン料理というのは、自分たちの食べたいものを作ることがベースにあります。それに対してフランス料理というのは、昔の宮廷料理がベースで格式が高いものです。いまはもちろん独自性の高いフランス料理を出す料理人もたくさんいます。

サンセバスティアンにいる時、近所のバールに入ると地元の料理がたくさんあるんですね。そんな庶民的なおいしさがベースになって現代スペイン料理が生まれたわけで、おいしいだけでなく食べて面白いのも、スペイン料理が世界中から評価されている点だと思います。それが、今の僕にもつながっています。

akordu(アコルドゥ)

そしていよいよ日本で自分の店をオープンされるわけですね。

川島氏:
スペインにいる頃から、有名レストランのシェフに声をかけていただいたのですが、あくまでも自分でやりたいと思っていました。でも、なかなかいい場所が見つかりません。考えていたのは、ハーブを自家菜園できるような場所で、地元の食材を使う店です。

大阪・神戸・京都あたりで作りたかったのですが、場所が見つからないまま3年も経ってしまいました。そんな時、偶然出会ったのが、鉄道会社が所有する大正時代の変電所跡の建物です。レンガ造りで敷地は250坪ほど。理想的な物件でした。場所は、奈良県の富雄。地元の野菜や食材もあり、ようやく腰を落ち着ける場所が見つかりました。

2008年に念願がかなって「アコルドゥ」がオープン。2014年に建物の耐震構造の問題から契約更新ができなくなったのですが、6年にわたり富雄でお世話になりました。

そして、縁あって奈良公園の近く、東大寺旧境内跡という特別な場所に移転したのが、2016年12月です。この本当に特別な場所で店を持てたのは、普段からお世話になっている皆様のおかげです。

前の場所が契約できなくなり悩んでいた時に、奈良県が実施するコンペティションのお話を教えていただき、10社の中から選ばれることができました。そんな運を呼び寄せてくださった方々には本当に感謝しています。

akordu(アコルドゥ)外観

akordu(アコルドゥ)

お問い合わせ
レストラン:0742 77 2525 / ウェディング:0742 77 8080
アクセス
奈良県奈良市水門町70-1-3-1
近鉄奈良線「奈良駅」より徒歩10分、JR奈良線「奈良駅」より徒歩16分
駐車場あり
営業時間
12:00 - 13:00(L.O)/ 15:30 (CLOSE)
18:00 - 19:00(L.O)/ 22:30(CLOSE)
定休日
月曜日、及び不定休