■「人と違うことがしたい」と料理の道へ
平石さんはいつ料理人を志されたんですか?
平石氏:
僕は愛媛出身で、高校は進学コースに入ったんですが、「人と違うことをしたい」と思って、1年の時に本当は進学コースは参加できない3年生向けの専門学校説明会に行ってみたんです。そしたら辻調理師専門学校の先生の話が面白くて、直接話した際に「うちにおいでよ」と言ってもらったんですよ。両親が公務員で共働きだったので小さなころから料理はしていましたし、それじゃあ料理人になろうと決めました。
高校1年生が専門学校説明会に参加するというのは珍しいですね。また、愛媛から大阪の料理の専門学校に入るというのも、思い切った選択だったんではないですか?
平石氏:
そうですね、進学するつもりでありつつも「何か面白いことないかな~」と考えていましたね。それで、その説明会後は学校見学に行ったりいろいろ調べたりして、調理師免許が取れて志望する店へのルートを持つ辻調に行くと決めていたので、僕自身には自然の成り行きだったんですが、一族みんなから反対されました。
■自ら志願した“一番厳しい修業先”
日本料理を選ばれた理由は?
平石氏:
元々はフランス料理に興味があって、もしフランス料理をするなら本場に10年は行きたいと思ったものの、僕は一人っ子なのでそれはできなかったんです。そこで、説明会で誘ってくれた先生が日本料理の方だったので、日本料理に決めました。
専門学校を卒業して最初はどちらに?また、実際に仕事を始めてみて、考えていた世界とのギャップというのはありましたか?
平石氏:
僕は北新地の「かが万」という店に16年いたんですが、そこから独立したので、かが万しか知らないんですよ。専門学校時代は京都のお店に行きたいな~という思いもあったんですが、高校で会った先生に「そこで10年修業すればどこでも通用するような、一番厳しいところを紹介してください」とお願いしたら、「京都にこだわらんでもいいんちゃうか」とかが万を紹介されて、“それなら”と入りました。
ギャップについては、僕たちの世代までは、まだ「上の言うことは絶対や、そういう世界や」というのを聞かされていたので、それほどはなかったですね。
それに家族の反対を押し切って入った道ですし、当時は名が通った大きい店で料理長にでもなれれば、と思っていました。