日本の伝統文化の魅力を知るきっかけになる、「種」を生める場所でありたい。

日本料理 柏屋
松尾 英明

柏屋

■もてなしの心の真髄を教えてくれた、茶の湯の師範との出会い

もともとは理系のご出身とのことで、そこからどうやって料理の世界に?

松尾氏:
大学では理論物理学を専攻して、将来は一般企業への就職を視野に入れていました。この道に飛び込んだのは、学生時代のある出会いがきっかけです。

もともと私が中学生の頃、現在の地、吹田の千里山で父が料理店を開きまして。3年ほどでようやく目鼻が立った時、「柏屋」の屋号を書いていただいた大徳寺の塔頭芳春院の和尚様に改めて御礼に伺ったところから交流が始まったんです。和尚様は、例えば座敷の店では床の間に何を飾るのか?など、和のしきたりについていろいろ教えてくださいました。当時は父も見よう見まねで店のしつらえを調えていたもので、和尚様から茶道を勧められて。しばらく父も稽古に出向いていたのですが、身体の負担もあって「代わりに行って来い」と命じられたので、「おもしろそうだから行ってみるよ」と。そこから京都 西大路七条の高源寺の庵主である池田宗弘氏に師事し、茶道を学んでいくことになったのです。

理論物理の勉強をしながら、お茶の道も極められていったと。

松尾氏:
もともと家族で美術館や焼物・漆器めぐりをして日本の伝統文化や工芸品に慣れ親しんでいたせいか、稽古がとても楽しくて。一杯のお茶をお客さまに興じる際、建物から庭や書、工芸品などすべてを駆使しておもてなしをする。大事なのは豪華さではない。例えば戦場に向かう客人であれば、これが今生の別れになるかもしれない。そんな思いを込めて開くことが大切なんだと。

その世界観に足を踏み入れた時、日本の建築物の美しい佇まいや焼物の趣などがすべて有機的に繋がって、「なんておもしろいんだ」と夢中になったんです。

それからは、方々の茶会に赴く師匠の送り迎えを買って出て、多い時は週の半分ほどお供をさせてもらい。経験が深まると同時に、茶の湯の奥深さを表現することを生涯続けていけたらいいなという思いが生まれ始めました。そこで振り返った時に、父が始めた小さな店のことや母が作ってくれたおいしい料理、それを手伝うのが好きだった自分などが繋がり…「日本の文化、心、美意識を駆使して、食事を通して客人をもてなす時間と空間を作りたい」と、はっきりとした目標が見えたんです。

20代の頃に、既に店作りの明確なビジョンが描かれていたのですね。そこから料理の道へ。

松尾氏:
「茶の世界に通じる日本料理を習いたいなら」という周りの勧めもあって、卒業と同時に明治元年創業の老舗料亭「招福楼」に入りました。そこで、私の人生の2人目の師匠となる中村秀太郎氏と出会います。

自分が描いていた夢なんて本当にちっぽけだと思い知らされるほど、想像を絶するレベルの世界がそこにありました。部屋のしつらえから道具、庭の手入れ…料理もお客さま一人ひとりに合わせて献立を変える。去年も同じ時期に来てくださった方には、同じ料理でも趣向を変えたり、誕生日の方には祝いの品を入れたり。

そういう店なので、毎日10組のお客様があれば、10枚の献立を記録していくのですが、その献立を書き写すのが若手の仕事で、とても勉強になりました。季節ごとの献立は基本的に同じですが、お客さまに合わせて食材や調理法、包丁の入れ方、器の選び方などに微妙に変化をつけていて、それを毎日書き写していると、変わっているポイントが浮き上がるように見えてくるんです。すると、この献立を考えた方はここに力点があるんだとか、心遣いを織り込む工夫や技術が見えてきて、単に味わいや温度の変化で緩急をつけるだけでなく、亭主がどれだけもてなしの心を込めるかが大事と学びました。

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■まだまだ勉強し足りない、老舗料亭「招福楼」の濃密な3年間

「招福楼」で2、3年目というと、まだまだ包丁も握らせてもらえないような時期だったと思いますが、どのような修業時代だったのでしょうか。

松尾氏:
そうですね、最初の1年は厨房には入れません。最初の2年間本店勤務だったのですが、1年目は、まかないを作るおかず当番、漬物を用意する当番、庭掃除と下足番をする玄関番をローテーションで回していきます。

当時びっくりしたのが、下足番の時に、庭の外灯をつけるタイミングで注意を受けたことです。冬場はすぐ暗くなるので、お客さまが来られる前に明るく灯しておけば良いんですが、困るのが夏場。ちょうど来店される時間が日暮れと重なり、いつ灯すべきか見極めが難しい。つけ忘れると怒られるので、早目につけておくと、「誰や!こんな昼行燈みたいに早くから電気をつけて!」と怒られて。それで今度はもう少し待ってからつけると、「遅い!」と怒られて、じゃあいつなんだと混乱しました。

ところがある時、庭の外灯をつけてから、すぐ傍の駐車場に清掃チェックにいきましたら、うしろから「そうや!」という声が聞こえて。「今や、このタイミングや」と。その時にハッとして店の方を振り返ると、空が暗くなって色がだんだん消えゆくぐらいの景色に、外灯がキラキラ溶け込んで、「美しいというのはこういうことなのか」と心が震えました。

師匠はこんなところまで見ているんだ。この今の瞬間にお客さまが来られるなんて、万に一つの確率かもしれないけど、そこまで細部にこだわることが大事なんだと。その姿勢や生き方から、たくさんのことを学ばせてもらいましたね。

私も聞いていて勉強になります。非常に奥深い世界ですね。

松尾氏:
そうして2年目には八寸場という前菜を作るポジションをもらったのですが、刺身を引く向板を担う料理人が足りないということで、当時2年目で未熟な私にチャンスが巡ってきまして。それで一通り魚の扱いを習うことができたことは非常に幸運でした。3年目には名古屋で八寸場、煮方を経験。惜しみなく知識と技を教えてくださる方に恵まれ、濃密な時間を過ごしました。いずれは実家に帰ることが決まっていたからこそ、1日1日絶対悔いのないように学ぶ姿勢で、吸収し尽くせたと思いますね。

そうして「招福楼」を旅立ち、いよいよ1992年、お父様の店であり現在の「柏屋」に戻ってこられて。外で修業を積まれた後、身内の店で…というのは、難しい部分もあったのでしょうか?

松尾氏:
違う店で修業してきた、しかも経営者の息子ということで、今まで働いていた方たちは自分を受け入れにくいだろうなと想像はついていました。だからこそ掃除でも雑用でも何でもしますという姿勢でのぞんだのですが、逆に今から思えばそれが余計に煩わしかったのかもしれません。戻ってから3ヶ月ぐらいで、全スタッフが一度に店を辞めてしまう「総上がり」という事態が発生してしまったんです…。

人を雇おうにも、そんな状況の店に来てくれる料理人がいるはずもなく、最終的には、定年で現役から一度退いた70歳ぐらいの方に、ヘルプで料理長として入っていただきました。私のことを「若」と呼んで可愛がってくださり、惜しみなく自分の技術を伝授してくださいました。今私が知る古典的な仕事は、その方から教えてもらったものです。

それから半年は、朝5時に厨房に入って仕込みを始め、夜は2時ぐらいまで準備して片付けて…という毎日が続きましたね。その後、また新しいヘルプの方が来て、3年ほど料理長として厨房に入ってくださいました。その時は店の規模も今より小さく、料理の内容もそこまで手の込んだものではなかったので、何とか厨房3人で回していた感じです。

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