「料理をもっと知りたい」の一心で、たどり着いた「今」

Ta Vie(旅)
佐藤 秀明

Ta Vie(旅)佐藤秀明

■料理雑誌で見かけて衝撃を受けた「龍吟」との出会い

佐藤氏:
「龍吟」に研修に行ったのもこの頃。今でもはっきり覚えていますが、2005年です。

山本シェフが当時スペインの最先端の技法を日本料理に取り入れていた頃で、それを料理雑誌で読んで、とても衝撃を受けました。

日本では最先端の技法を取り入れるのはいつも西洋料理系のシェフばかりでしたから、「日本料理という伝統料理で育って、最先端のアプローチをする山本シェフという人はどんな人なのだろう。まるで宇宙から来た人のようだ、この人はすごい」そう思って、手紙を書いて、電話をして、その冬に早速研修に行かせてもらいました。

料理雑誌で見たときは最先端の料理技術に惹かれたのですが、入ってみて日本料理の伝統的な手法にむしろ興味を持ちました。

日本料理の厨房自体が初めてだったのですが、まずは食材の見方が違う。

私が知っていた当時のフランス料理は、食材を一般化して見るのが普通でした。サーモンだったら、付け合せはなにで、ソースはなにか。まず食材というものを一般論で語って、そこから料理の技法や、ソース、付け合わせをクリエイトしていくといったプロセスをとっていました。

でも山本シェフの厨房は違った。この鴨とあの鴨は違う個体で、大きさも違うし脂ののりが違う。それに合わせて切り方や付け合せや調理法を変えていくのです。

日本料理にはもともとあった考え方だと思うのですが、「こういう風に状態を見るんだ、観察するんだ」ということ自体がとても興味深かったです。

例えば、うなぎが5尾入ったら、全部の端の部分を切って、A~Eと記号を振って、蒸して事前に味見をする。それでこれは匂いが強いとか身が柔らかいとか、それぞれの個性を見て調理法を決める。

素材があって、個々の個性を見て、食材の中に入っていく料理。食材を一般論では語らず、個体差から始まるプロセスは、衝撃的でした。最初の研修は冬だったので、夏の間、週末を利用して夏の食材を見に行ったり、初めて「龍吟」がミシュランで星を取った際にはお祝いに行ったりと、ちょくちょく顔を出していました。

そうこうしているうちに、田村シェフと意見の食い違いが起こることもありました。5年働いて、田村シェフには、とてもお世話になったのですが、考えた末に辞めることにしました。次はどうしよう、となった時に、「龍吟」に行こう、と思ったのです。

他にも、東京の有名フランス料理店からオファーがあったのですが、食べに行ったら全然美味しくなかった。龍吟でいただいた一切れの大根の方が遥かに美味しかったことが、背中を押してくれました。

■人生最高の決断 フランス料理を離れて「龍吟」で日本料理を学ぶ

佐藤氏:
これは人生の大きな転機で、いまだに人生の最高の決断だったと思います。「この選択をすることで、ひょっとしたら大失敗するかもしれないが、もしうまくいけば何か新しいものが生まれるんじゃないか」という漠然とした希望があったのです。

働かせて欲しい、山本シェフに話をすると、とてもスムーズに受け入れてもらえました。厨房にはすぐ馴染みましたが、研修では簡単に身につかないことを勉強しましたし、何よりも山本シェフの厳しい基準を学べたのが一番大きかったです。

色々な所で「龍吟育ちのシェフが今活躍していますね」と言われることもあるのですが、それはきっとこの山本シェフの基準を、修業中に自分の基準にできたからだと思います。

厨房で山本シェフが一番口にするのが「温度」、そしてよく質問されるのが「理由」でした。

人参の切り方一つから、なぜそうするのかを聞かれました。肉の切り方、火入れ一つとっても理由がある。だからこそ自分が「龍吟」に馴染めたというのもあると思います。

若くして料理長を任された頃から、自分で食材を触って考えてきました。だから「こうすると決まっているからこうする」という説明では納得できなかったと思いますし、山本シェフも自分で考える人だったので、そのアプローチを理解し、考え方に共感もでき、対話ができたんだと思います。

最初のうちは、前菜とお菓子の担当でした。当時は誰もしていませんでしたが、食材の季節が変わって、そろそろこの食材が入らなくなるなという時期になると、自分で次の新しいメニューを考えて提案していました。

食材の旬は短いので、突然その食材が入らなくなったりします。そうなって慌てるのではなく、その前に作っておいた方が良いと思ったのです。液体窒素で凍らせたアイスクリームを粉末にして、いちごの形の飴細工に入れる「龍吟」のシグネチャーデザート。これはもともと、同じスタイルの林檎のデザートがあって、ちょうど鶴岡八幡宮に行った際にいちごの飴がけを見かけて、林檎でなくいちごでできるのかもと思ったのがきっかけです。

そのアイデアを山本シェフに話すと、表面の種がないとおかしいから、芥子の実を入れてはどうかとアドバイスをもらって、今では林檎のものよりも、いちごの方が有名になりました。それから「季節ごとにできるよね」という話になって、様々な季節の果物で作るようになりました。

もともと経験者、しかも別ジャンルの料理から入っているので、山本シェフは他のスタッフは呼び捨てにしても、自分だけ「佐藤さん」とさん付けで呼ばれたりしていたので、そのへんに少し距離を感じたりもしていました。

でもこういったやり取りを通して、山本シェフとの距離がどんどん縮まったと思います。こうしてしばらく前菜とデザートを担当した後、焼き物の担当に移りました。

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■「シェフのメッセージを伝える」レシピ化能力を磨いた機内食の仕事

佐藤氏:
そして、その翌年2010年から2年間JALの機内食の仕事が始まりました。

当時は日本料理を京都の方が担当していましたので、日本料理の店にも関わらず「龍吟」が西洋料理を担当することになったのです。

もちろん山本シェフは西洋料理も食べ歩いてきていますが、作るというと話は別です。ただ自分がフランス料理のバックグラウンドがあったのでサポートをさせて頂くことになりました。

メニューは季節ごとに変わるので、年に4回JALの人が来て自分たちが料理をプレゼンテーションする。その後成田に行って、JAL担当の調理チームがレシピに沿って作った料理を食べてフィードバックし、修正したものを再度食べに行ってということをやっていました。

ここで学んだのは、共有化する技術。山本シェフのメッセージを、いかにわかりやすくレシピ化するか。また機内食ですから、料理人ではなくキャビンアテンダントの方が作る訳です。機内でどう再現するかも考えなくてはならない。

山本シェフは天才肌の人ですから、過程を提示せずにまずゴールを示します。そんな中で普通の人は「機内食ではこういうことはできないからやらない」という常識を完全に無視したアイデアが出てくる訳です。

だからこそ平凡じゃない料理を生み出せるというのもあるのですけれども、実現させるのは並大抵のことではありません。

例えばパイの上にサラダを乗せたり、ソースを綺麗に盛り付けたり、火入れを狙ったお肉だとか、厨房でやるものに比べたら簡単ですがそれを機内でどう再現するか、山本シェフのメッセージをレシピという形でどう伝えるかに心を砕きました。

さらに山本シェフからアイデアが降りてきて、プレゼンまでが短いんです。3週間くらいしかなくて普通の営業の仕込みもありますから試作からデータを取り数値化しないと間に合わないのです。

ですが今になるとこの習慣は今とても役に立っています。世界からやってきたスタッフに正確にレシピを伝えなくてはいけないわけですからね。

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