Foodion │ 一流シェフ・料理人のプロフェッショナル論。

チームワークで作り上げる料理が、一番おいしい。メンバーが、料理の仕事を楽しみながら続ける極意とは

日本料理 晴山
山本 晴彦
わずかオープン1年半でミシュラン二ツ星を獲得し、予約のとりにくい日本料理店の一つとなった「晴山」。店主の山本晴彦氏は、岐阜の名店「日本料理 たか田八祥」で修業を積み、25歳の若さで支店の料理長に抜擢された実力派だ。苦境に立たされても、つねに試行錯誤しながら前向きにチームをまとめ、お客の喜びを一番に考える心持ちと枠にとらわれない勢いのある料理でファンを増やしている。

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■夢のために友人関係を一時期断ち切る

中学2年生のある日、料理本を片手に一人でつくった「ナスの煮物」がすべての始まり。
共働きの両親からその出来映えを誉め称えられたことから、「料理は面白い」と強く感じるようになる。以降、料理は趣味となり、特技となって、高校卒業後は迷うことなく調理師学校に入学。卒業後は岐阜の日本料理店「たか田八祥」に入店し、約10年間研鑽を積んだ。

 

料理人のなかでも和食のジャンルを選ばれたのは何故ですか?

山本氏:
もともと両親や祖父が、実家のある栃木の足利市から東京に出向くほど食べ歩きが好きで、いろいろなジャンルの店に連れて行ってもらっんです。なかでも、日本料理の料理人が作り出す空気感や接客の仕方、器遣いに感銘を受け、その奥深さのようなものに惹かれていました。中学で料理に目覚めてからはお小遣いで料理本や食材を買って、独学で研究するようになっていたんです。家族や友人たちに喜んでもらえるのが嬉しくて、楽しみながらいろいろつくるうちに、ほっとするような日本料理をつくりたい、この道を究めたいと強く思うようになりました。

 

修業先に岐阜の「たか田八祥」を選んだ理由は? もともと土地勘などがあったのですか?

山本氏:
まったくないです。きっかけは、親方が調理師学校に講演に見えたことでした。親方のお話が想像以上に楽しくて、料理に対する姿勢に共感できたんです。お客さまに喜んでもらえるなら、中国やフランスの食材を取り入れても構わないという広い考えをお持ちで、料理もきれいだった。生徒に対する気配りが強く感じられたのも印象的でした。この人のもとであれば、楽しく料理修業ができるだろうと思い、修業先に希望したんです。

 

まったく知らない土地での寮生活でのスタート。迷いはなかったですか?

山本氏:
もともと東京の店で修業するつもりでしたから、少しはありました。でも、親方に出会ってしまった。それで東京か岐阜という二つの選択肢を並べたとき、自分の夢に向かっていくには、少なくとも3年間は友人との交流を断ち切ったほうがいいと思ったのです。

 

強い決意ですね。その夢とは?

山本氏:
料理人を志してからは「一流の料理人になって31歳には独立する」と決めていました。東京には友人がたくさんいたので、連絡があればきっと遊んでしまう。地方に行ってしまえば会いたくでも会えないですからね。

親方の「着替えと布団だけ持ってくればいいから」という言葉どおりに、本当にそれだけ持って岐阜へ向かいました。寮は、最初4人部屋のうち3人が先輩だからきつかったですね。ほとんど舎弟みたいに扱われましたから。仕事も、上の人たちの雑用を一手に引き受ける「追い回し」から始まるので、朝は誰よりも早く店に入って、夜は遅くまで掃除や片付け。新人の間は、しばらくは睡眠時間2~3時間という日が続きました。

 

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■苦境に立たされながら乗り越える日々

中学生の頃から独学で料理を研究していた山本さんは、現場でめきめきと頭角を現し、すぐに店主(親方)の高田晴之氏にも一目置かれる存在になる。反面、先輩のいじめの標的となり、理不尽な仕打ちをくり返し受けることに。そしてついにある日、先輩と大ゲンカをして店を飛び出してしまう。意気消沈して実家に戻ると、玄関の前にはなんと高田氏の姿が。岐阜での修業を始めてから約5ヵ月後のことだ。

 

我慢の限界を超えてしまったのですね。

山本氏:
現場は完全なる縦社会。それは仕方ないにしても、言う事も言えないような組織だったんです。先輩から理不尽なことをされたり、意味のない衝突がしょっちゅうで、正論は通じない。調理場はチームで動くべきなのに、料理人同士が足の引っ張り合いをしたり、けなしあったりするなんておかしいじゃないですか。

一人だけ相談していた先輩がいたので「こんな環境は絶対おかしい、もう辞めます」と言い残し、後先考えず店を逃げ出してしまいました。翌日は無断欠勤ですし、もちろんやってはいけない、ありえないことです。それでもそのときは、そうせずにはいられませんでした。

 

足利市の実家まで高田さんが追いかけて来てくれたんですね。

山本氏:
玄関先で親方から「お前、何やっているんだ」って言われて、わーっと涙があふれました。

「せっかくこれまで頑張ってきたのに、今捨てるのはもったいないぞ。とりあえずもう一度チャンスをやるから戻って来い」とおっしゃってくれて。「2、3日猶予をあげるからじっくり考えて、やめるにしても一度戻ってきちんとけじめをつけなさい」と言われ、それは確かにそのとおりだ、と。しかも現場の料理長からも「自分の組織づくりができていなくて悪かった」といった内容の手紙が届いていて、なんとか思い直しました。

いずれにせよ逃げ出すなんて最低なことをしてしまったのですから、申し訳ない気持ちもいっぱい。「もう一度やらせてください」と土下座半分で皆に謝りました。ただ、周りの人たちも「こちらも悪かった」と言ってくれ、これをきっかけにお互いに言いたいことをスムーズに言い合えるようになって、親方にも正直な気持ちを話せたんです。理不尽なこともなくなり、かなり環境は改善されました。

 

それからは問題なく、修業に集中できたのですか?

山本氏:
違った意味での壁はありました。自分の技術は、修業当初から3年上の先輩くらいまでは負けない自信があったんですが、6、7年目の先輩となると全然かなわないと気づいたんです。

余計な技術や知識が邪魔をして、それ以上伸びにくいというか。包丁の技術や味覚のセンス、器遣いや盛り付けなど、レベルが違いました。ただし、一度逃げた経験から自分の中でもこのままでは駄目だという意識があったので、素直に教えを請うたり、人の意見を聞くことができるようになって、何とか乗り越えることができました。

 

25歳の時には支店の料理長に抜擢されましたね。

山本氏:
たまたま支店の料理長が交通事故に遭われて、骨折されてしまって。親方から「一度、料理長を経験してみないか」と言われ、「まだ早すぎます」と最初は拒否したんです。でも、「お客さまを喜ばせるためなら、何をやってもいいから」と言われ、そんな面白い仕事は他にないだろうし、そういったチャンスはなかなかないだろう、と。「フォローするから」という言葉に押されてお引き受けしました。

実際のところ、一緒に働く調理場のスタッフ10人くらいのうち8人は年上で、年配の仲居さんもいる。「これはまた壁にぶちあたるな」と思いましたが、思ったとおり(苦笑)。つい先日まで後輩だった人間がいきなり料理長なんて、先輩にとって面白くないのは当然ですよね。皆、最低限の仕事はしても、それ以上は絶対に動いてくれませんでした。

 

その状況をどのように克服されたのですか?

山本氏:
絶対に文句を言われないくらいに、自分自身が動くように努めました。誰よりも早く先に店に入って掃除をして、閉店後も最後まで残って試作をしたり、メニューをつくったり、細かな雑用もこなしましたよ。トップがこれだけ動いているのに、下の人間が動かないのはおかしいと気づかせないことには、どうしようもないと思ったんです。そうこうするうちに、少しずつ周りの反応も変わってきたことを覚えています。

日本料理 晴山

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