フランスの伝統的な食文化 「シャルキュトリ」の魅力を 世界に発信するアンバサダー。

MAISON VEROT
ジル・ヴェロ(Gilles Verot)

■フランスの伝統的な食文化「シャルキュトリ」とは。

日本ではフランスの「シャルキュトリ」という食文化や、「シャルキュティエ」という職業はあまり知られていないと思うのですが、簡単に教えていただけますでしょうか。

ジル・ヴェロ氏:
「シャルキュトリ」とは食肉加工品全般のことを言うのですが、日本でもハムやソーセージは一般的に食べられていますよね?それ以外にも、パテやテリーヌなどがありますが、多くは豚肉を原料としていて、他にも鴨やジビエを使用することもあります。
それらの材料を使って、塩漬けや乾燥、燻製など長年にわたり発展してきた様々な製法を元に、フランス農水省の外郭団体が発行する「シャルキュトリ規定書」のルールをクリアしてものだけがフランスシャルキュトリとして認められています。
そしてそれを販売する専門店のこともシャルキュトリと呼ぶのですが、フランスにはどんなに小さな町や村にも必ずシャルキュトリがあります。

そして食肉加工技術を持つ職人のことを「シャルキュティエ」と呼びます。フランスではシャルキュティエは、中世に国から正式に「職業」として認められ、フランス文化と共に歴史を歩んできました。

楠田氏:
シャルキュトリは高級なメゾンと違って、伝統に育まれた郷土色豊かな庶民の食文化がルーツ。主婦が毎日のおかずを買いに行く、日本であれば「お豆腐屋さん」「お惣菜屋さん」のようなイメージを持っていただくとわかりやすいかもしれません。

伝統的な食肉加工技術を受け継ぐ職人がシャルキュティエなのですね。シャルキュティエになられたきっかけはどのようなものでしたか?

ジル・ヴェロ氏:
実は私の祖父や父もシャルキュティエで…私は代々続くシャルキュティエの家に生まれました。祖父がリヨンで1930年に開業し、その店を父が継ぎましたので、僕は3代目になります。そんな環境で育ち、子どもの頃からシャルキュトリの文化にどっぷり浸かっていました。
10歳の頃には「将来はシャルキュティエになるのだ」と決めていました。他の何かになろうなんて、一度も考えたことはなかったです。
子どもの頃からいつも店を手伝っていましたし、夏やクリスマスのバカンスシーズンは一緒になって仕事を手伝うのが当たり前の幼少時代で、代々続く伝統を引き継ぎたいという気持ちはすごく強かったですね。

シャルキュティエの修行はどのようなものでしたか?

ジル・ヴェロ氏:
僕がこの道に入ったのは17歳でした。学業を続けるより一刻も早くシャルキュティエになるための勉強がしたいとずっと思っていましたので、大学へ進学することは考えませんでした。
そこで半分は学校で専門的な知識を学び、半分は現場で修業をするという、シャルキュティエになるための専門学校へ入り、学びながら修行をすることになりました。

修行は父の店ではなく、リヨンにあるレノン氏が営む「Maison Reynon(メゾン・レノン)」という店で2年程研修しました。「修行は外でしてこい」という父の考えもあったのですが、やはり身内に教えるのは大変なことですし、彼の考えは正しかったと思いますね。
その後はパリへ行き、パリの店でも1年間修業をしました。その店は、僕の妻カトリーヌの両親が営んでいる店。その店の修行時代に、当時まだ学生だったカトリーヌとも出会い、将来、彼女と結婚することになるのです。

■受け継がれ守られてきた、郷土色豊かな伝統と知恵。

修業時代にはロマンティックな出会いもあったのですね。修行の内容は店によって違いましたか?

ジル・ヴェロ氏:
元々、シャルキュトリは豚1頭を余すところなく全てを美味しく食べるための方法や、保存食の技術が発展したものです。ですから、その土地に昔からある調味料やハーブを活かし、その土地にあった保存法で…という風に、その地で受け継がれてきた伝統と知恵がレシピには詰まっていますので、同じメニューが無いといってもいいくらいに多彩で豊かです。

リヨンは町の規模が大きいので地域によってお客様の嗜好が違いますし、実家の店と修行していた店とでは商品の内容はまるで違っていました。そしてリヨンのシャルキュトリとパリのシャルキュトリでは、全く別物と言っていいほど違います。ですから修行先それぞれで地方色豊かな技術を学び、経験を深めることができました。

土地それぞれでとても深い学びがあったのですね。パリ修業の後はどうされたのですか?

ジル・ヴェロ氏:
パリでの修行を終えて、リヨンの父の店に戻ったのは23歳の頃で、25歳まで父と一緒に店をやっていました。
将来は店を引き継ぐことになるという責任感もありましたし、修行の経験を活かしてもっといい店にするにはどうすればいいかを毎日真剣に考えました。ただ工業や石炭で発展してきたリヨンの町はだんだんと工場も閉鎖され、元気がなくなってきたこともあって…次第にパリに自分の店を出したいと考えるようになったのです。

そして25歳の時にカトリーヌと結婚したことを機に、彼女の両親が営むパリの店「Maison Leautey(メゾン・ロテイ)」へ再び戻って仕事を続けることにしました。妻はまだ学生でしたが、将来は自分たちの店を持ちたいという共通の夢を持っていましたので、パリで店を持つための場所を探しながら、その店でさらに6年間修業を続けました。

なるほど、奥様のご両親のパリの店で修業しながら、独立の準備をされたのですね。独立されたのはいつでしたか?

ジル・ヴェロ氏:
パリで1号店をオープンしたのは30歳、1997年のオープンでした。フランスでは店をオープンするためには「フォン ド コメンス」(fonds de commerce)と呼ばれる、営業権利が必要なのですが、その権利を買うのがとても難しくずっと探していました。
そんな時、200年続いた歴史あるシャルキュトリを営む方がご高齢で引退されるということだったので、その店の権利を買うことができたのです。
フランスは代々続くパン屋やレストランを引き継ぐ形で店の営業権利を買い、店をはじめなくてはなりません。勝手に好きな場所に好きな店を始めることはできないのです。営業権利を買うことによって、その店に来ていたお客様もそのまま引き継ぐことは可能なのですが、パリのお客様はとても厳しいので、美味しくないとお客様はすぐに離れてしまいます(笑)。

営業するための難しい決まりが沢山あるのですね!オープンされてから苦労されたことはありますか?

ジル・ヴェロ氏:
その当時、僕の名前は全然有名ではないですし、まずは僕の名前を知ってもらって、お客様から信頼を得ることが一番大変でした。店を持つ30歳まで様々な技術を学んではきましたが、お客様から直接学ぶことは本当に多かったと思います。
お客様が何を求めていらっしゃるのかを、お客様とのコミュニケーションを通して感じ取ることに専念し、求められていることにはなるべく早く対応するように心がけていました。

そうして店をオープンした1997年には、パリのコンクールで金賞を受賞しました。スペシャリテ「フォマージュ・ド・テット(Fromage de tête)」(※豚の頭のゼリー寄せ)が生まれました。このスペシャリテは翌年のコンクールでも金賞を受賞しています。
そして2011年に「パテ アン クルート(Pâté en croute)」も受賞をしました。また「パテ グランメール」もスペシャリテですが、これは妻のカトリーヌが最初の子ども二コラを生んだことを祝って父が作ってくれたレシピで…とても思い出深い1品です。

そして、もう一つ大変だったのは職人としての技術力だけではなく、経営の大変さ。店を大きくするためには人を雇っていかなくてはいけませんし、経営者としてのスキルも同時に磨かなくてはならない。
最初は夫婦2人で始めたお店でしたが、6年間でスタッフが25人になるまでに成長しました。そして現在パリに3店舗と製造を中心とした工房がありますので、スタッフは50人ほどになりました。

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