「向いていない」を言い訳にせず、自分で決めた道を信じて進む。

ポンテ ベッキオ (PONTE VECCHIO)
山根 大助

■料理に限らず、クリエイティブなことに興味があった幼少期。

山根さんは、今年で56歳とのことですが、お若いですね。失礼ながら、ご高名を考えると、もう少し上の世代の方だと思っておりました。

山根氏:
自分の店を持ったのが、24歳ですからね。この年ですが、独立して31年目になります。スタートが早かったので、どうしても一世代上の「菊乃井」の村田さんたちと同世代に見られがちですが(笑)。「祇園 さゝ木」の佐々木さんとか、同い年のシェフも多いんですが、イタリアンの同世代は少ないかもしれません。それは当時の時代背景もあります。

最初のお店をオープンした1980年代頃は、イタリア料理はすごく狭い世界でした。僕は神戸で最も古い歴史があるイタリアンの店で修業を積んだのですが、まず使える食材がかなり限られていました。アスパラガスもブロッコリーもオッケーだけど、筍はダメ、菜の花もダメ。基本的に野菜は西洋野菜以外は使ってはいけなくて、魚にしても鮎や鱧や河豚なんてのは、イタリアにないので、それを使ったらイタリア料理じゃない、と言われていた時代です。

例えば、茄子を使うにしても、イタリアの茄子は、皮も固いしアクも強い。一方で日本のものは水分をたくさん含むので、料理に使う時は水を抜いて使う。でも僕が当時思ったのは、「じゃあ日本の茄子はまずいの?」と。賀茂茄子にしろ水茄子にしろ、そのままですごくおいしい。その素材をどうやっておいしく調理しようか、その試行錯誤がおもしろいところ。でも、当時それは、イタリア料理屋さんのすることではなかった。それを変えたいなと。

そこで日本のおいしい食材を中心に、素材に向き合ったハイクオリティな料理を作りたい、と24歳の時にオープンしたのが「ポンテベッキオ」なんです。同じように高級路線のイタリアンをやりたいと考えた方はいたと思いますが、僕以前の世代はビザなどの規制も厳しく、海外での修行も難しかった。加えて、当時のセオリーに逆らってまで、店をやっていくのは相当骨の折れることだったんじゃないでしょうか。

山根さんは、初めからずっとイタリアンを?イタリア車がお好きだと聞きましたが、それも関係あるのでしょうか?

山根氏:
そうですね。デザインの国への憧れが、最終的にイタリアンの料理人を目指すことになる入口でしたね。

イタリアンもフレンチもスペイン料理もそうですが、ラテンの国って料理もおいしいですし、色使いがとても鮮やかでしょう?イタリアに行った時にハッと気付いたんですが、向こうは“光”が違うんです。だから、まちも食べ物も色がとてもキレイに見える。

この場所に生まれ育ったからこんな色が使えるんだと思い知らされました。モダンデザインの家具にしろ車にしろとても格好良いのですが、古い石造りの建物の中にあるから、また魅力が増す。芸術性の高い歴史的建造物も立ち並んでいますしね。昔から、そんな「デザインそのもの」に強い興味があったんでしょうね。

デザインへの憧れがスタートだったんですね。料理に限らず、クリエイティブな仕事に興味があったのですか?

山根氏:
料理人になることは、中学生の時から漠然と思い描いてましたが、デザイナーに憧れたこともあります。

僕が小学生の時に、従兄弟がカーグラフィックだったかモーターマガジンだか、60年代70年代の雑誌をくれまして。それが格好良くて、しかも当時イタリアの有名な工房のデザイナーが日本人だった。憧れましたね。いつかヨーロッパに行きたい、将来はクリエイティブな仕事がしたいなあと。

父親も小さい頃から僕が書いた絵を見て「普通じゃないぞ」と褒めてくれたり、高校の美術の先生も、「プロになりたいと思っているなら、相談においで」って言ってくださったり。

ただ、その時は「美術部なんて軟弱だ」と思って聞き耳もたずでしたが、今思えば、大きなチャンスを逃していたのかも(笑)。そんな高校生の頃に、「車のデザイナーになりたい」と父親に話すと、工業デザイナーなんて花形の職業だから、目指すなら東大の工学部か東京芸大にいかなあかんと。そんな偏差値が高いようなところなのか、それは無茶だと諦めてしまいました。

一方で、料理も小学生の時からよく作っていたんです。よく家族に手料理を振舞っていましたが、その腕の方も「只者じゃない」と言われていました。確かに僕は変だったのかもしれません。蕨とか山菜を自分で採りに行って、わらを燃やしてあく抜きしたりしてましたからね。

その頃から、料理についてもヨーロッパ指向だったんですか?

山根氏:
そうですね。テレビでは「世界の料理ショー」とかが放映されていて、スープやシチューとかを作っているんです。赤ワインをダダダと入れてね。それで僕も母親に「赤ワイン買って」と頼んで、煮込み料理を作ったこともありますよ。

母親も料理が好きだったので、当時から浄水器も圧力鍋も家にありましたし、父親が釣りに行くと、その日のうちに食べきれなかった分を開いて、一夜干しを作ったりしていました。僕も手伝って、魚をさばいてましたね。

小学生でそこまではなかなかできませんね。

山根氏:
台所が好きだったんですよね。包丁も見よう見まねで研いでました。うまくいきませんでしたけどね。でもおもしろいじゃないですか。砥石で包丁を研いで、ピカピカにしたらスッと切れるようになる。

麺作りもしたくて、うどんも蕎麦も粉を練るところからやってましたし、家にあった外国の料理書を見て、パスタ麺も作ってましたよ。小学生でも、“エッグ”とか“ウォーター”とか、材料名さえ読めればなんとかレシピがわかるのでね。

そうすると、料理人になった時も覚えが早かったのでは?

山根氏:
調理師学校に入った時に、僕はすでに「自分は料理人になった」という自覚を持っていましたね。ここはプロの料理人を養成する学校だと。

一方で、普通の学校に来る感覚で通っている子も多かった。料理を作ったことがないような子も来ていましたね。高校のテストよりも簡単な試験なのに、赤点を取っていたり。「いやいや、何をのんびりしてるんだ、競争やろ?」と思ってしまいました。身を削ってこれからプロになっていこうとしている時に、なんて緩いんだと。

自分は調理師学校に入った時に、「もし料理を生業にする時に、フレンチとイタリアン、どっちに将来性があるか」を考えていました。それぞれの歴史や文化も勉強して、フレンチの店もイタリアンの店も食べ歩きました。

その当時、フレンチはおいしいけど、まだまだ重たい料理だった。日本人が毎日これを日常的に食べ続けるのは、フィジカル的に無理だろうなと。一方で、イタリア料理は、魚介も使うし、味も重ねず素材を生かしたシンプルな味付け、日本料理的で、毎日食べても胃にもたれない。

1年に1回行けば満足というフレンチと、1週間に1回行ってもいいなあというイタリアン。行く頻度が、何十倍違う。そういう理由で、イタリアンを選んだのです。

もう一つは、歴史。日本におけるイタリアンの歴史は、まだまだ浅くて、イタリア料理の本質を理解しているシェフや店は当時まだ少ないと思っていた。これなら、勝てるだろうと(笑)。

まだ10代の頃ですよね、その頃から“勝つ”か“負ける”かの視点で考えている方はなかなかいないと思います。

山根氏:
少ないでしょうね。最初の店に就職した時も、原価率とかお店の回転率とか経営的な部分を質問して、「そんな質問したやつは、今まで一人もいなかった」と言われたりしてね。

でも、聞かないやつの方がダメなんじゃないかと思っていました。当然、知っておくべきこと。今思うと、父親が会社を経営していたのもあって、そういうプロ意識みたいなのは、小さい頃から鍛えられていたのかもしれません。

ポンテ ベッキオ (PONTE VECCHIO)

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