挫折の連続から掴んだ世界一

L'Ambroisie(ランブロワジー)
吉冨 力良

 

L'Ambroisie(ランブロワジー) 吉冨力良

◼地元熊本での充実した日々を離れ、東京で再挑戦へ

良いご縁は地元にあったんですね!そんなシェフのもとを離れたのは、なぜだったのですか?

吉冨氏:
もっと上を目指して東京のレストランで働きたいと思いました。
自分の性分なのですが、厳しさに耐え切れない弱い人間なのに、挑戦したくなるという相反する気持ちが常にあって。お世話になったこの熊本のシェフから、クラッシックなものを知っておくといい、と勧められたこともあり、クラッシックなスタイルで知られる東京のフランス料理店で働かせていただく事になりました。

その当時、街場のレストランでは経験の浅い者にはデザートから担当させるお店が多かった時代で、自分はデザートの担当になりました。アイスクリームやソルベだけでも7種類くらい、季節の果物を使ったタルトやコンポート、グラニテ、ミニャルディーズや折りパイ生地作りなど、基礎的な事を色々教えていただけました。

一番下っ端だったので、仕事の流れを覚えるだけではなく洗い物などの下働きを要領よくこなす必要がありました。朝7時から夜中の12時まで、休みは週に1日だけ。体力的にきつく常に眠かったです。もちろん失敗すれば先輩やシェフからは殴られますし、仕込みも一からやり直し。いかに自分が未熟で、技術不足なのか改めて思い知りました。

そんなことが続いたある日、突然出勤できなくなりました。出勤したくても体が動かず、鬱に近い状態だったのだと思います。鍵もかけずに部屋に閉じこもっていると、夜の営業が終わった後にシェフが自宅まで来て下さり、「このままだったら、どこに行っても使い物にならない。一人前にしてやるから、もう一度戻ってやり直さないか?」と説得されました。しかしながら、そのまま辞めさせていただく事になりました。

東京時代はまさにどん底のような状況だったんですね。立ち直るのはなかなか大変だったのではと思うのですが、その後どうされたのですか?

吉冨氏:
東京で働き始めてわずか8ヶ月でした。また熊本に帰れば両親が心配するのはわかっていましたから、それだけは避けたくて…。その後、当時東京の二つ星のフランス料理店で働かせていただくことになりました。

3度目の挑戦ですね。今度はうまく、乗り越えることができたのでしょうか?

吉冨氏:
厳しいお店でした。ディナー営業のみの店でしたが、仕事は午前10時の掃除から始まり、夜の営業が終わって賄いを食べるのは深夜0時。
その後反省会等があり、自宅に帰りつくのが朝4時なんて日もザラでした。賄いも一皿のバランスを考えながら作り、シェフやマダム、先輩にお茶が足りているかなど気を配るのも若手の仕事。自由な時間どころか睡眠時間も充分に取れない毎日でした。どこのお店で働いても未熟者で、不器用な自分。シェフや先輩からは蹴られ殴られる毎日でした。肉体的にも精神的にも限界がきて、3ヶ月程で辞めさせていただく事になりました。

料理の世界は厳しいとわかっていましたが、この仕事の現場はこんなにも過酷なものなのだ、と改めて思い知りました。
自分は料理人には向いていない。もう、この料理人という職業は辞めて違う生き方をしようと思いました。

それで、料理人の道をあきらめることを決意したのでしょうか。

吉冨氏:
はい。ですがひとつだけ心残りがありました。「自分はフランス料理を学んできたのに、フランスに行ったことすらないじゃないか。最後にフランスを観て、そして本当に料理人を辞めよう。」と。

L'Ambroisie(ランブロワジー)

■フランスの地へ。行動力で道を切り拓く。

そのフランス行きが、その後の人生を大きく変えることになるのですね。

吉冨氏:
はい。当時少しだけ持っていた貯金をはたいて航空券を買い、フランスに行きました。シャルル・ド・ゴール空港に到着したものの言葉もわからず、パリに行く電車の乗り場すらわからなくて、空港で2時間ほど途方に暮れましたが、何とかパリ行きの電車に乗ることができました。
それからパリ中心部の大きなターミナル駅で適当に降り地下から地上に出ると、ちょうど日も暮れた頃で何世紀も前に建てられたセーヌ川沿いの優美なオスマン調の建物が淡いオレンジ色の街灯に照らされていました。初めて見たそのパリの美しさに、言葉にならないほど感動しました。
「ここが、あのフランスか。この国で、もう一度頑張ってみようかな。」自然とそんな思いが溢れてきました。そう思うと後は行動するだけ。行動力には自信がありました。当時ミシュランの星を持っていた日本人シェフのお店に飛び込みで訪問したりもしました。

無事に採用されたのですか?

吉冨氏:
面接はしていただけましたが、手書きの汚い履歴書、書いてある内容も大した経歴ではありませんでしたから。反応は冷たかったですね。

「行動力は認めるけれど、戦場に丸裸で武器も持たずに立っているのと同じだよ。ビザも無い。技術もない。フランス語も分からない。ここに何をしに来たんだ?」と言われました。
厳しい言葉でしたが、全くその方のおっしゃる通りでした。
それでも、フランスで働きたいという思いは消えませんでした。

ビザが必要なのがわかったので、いったん日本に戻り貯金をしてワーキングホリデーのビザを取り、2008年10月にフランスに来ました。23歳の時です。

始めはパリ14区にある日本人シェフが経営するビストロで働かせていただきました。
家が見つかるまでの間は、ユースホステルのドミトリーで寝泊まりしていましたが、どんどん減っていく貯金と、常に7~8人の見ず知らずの他人と寝る相部屋が騒がしくて嫌になり、地下鉄で寝たこともありましたね。

フランスでは、路上生活者が終電が過ぎた地下鉄で寝ていても、冬の間は追い出したら凍死してしまうため、人道的な理由で追い出せないのです。なので、終電が止まったら電車のドアを開けて、車内の狭い椅子で丸まるようにして寝ていました。

パリを東西に往復する8番線でしたが、目がさめると既に電車が動いていてパリを何往復かしてそのまましばらく寝てからお店に行ったりもしていました。

過酷な毎日ですね。そんな生活はどれくらい続いたのですか?

吉冨氏:
パリに到着して2ヶ月程で、7区に小さな屋根裏部屋を見つける事ができました。広さは9平米くらいだったでしょうか。
エレベーターの無い最上階の7階にある小さな部屋で、トイレは他の住人と共同利用、洗濯機も置く事ができません。部屋の天井にはカビがたくさん生えていて、階段もギシギシいうような場所でしたが、やっと自分の場所ができたと思いすごく嬉しかった記憶があります。

初めてのフランスでの仕事はどうでしたか?

吉冨氏:
休みは週に2日。昼と夜の間も2時間くらい休憩がありました。労働環境は良かったのですが、同時にこのままではこの環境に慣れてダメになりそうだな、という思いもありました。

数ヶ月経ち、ワーキングホリデービザの期限が切れる頃にそのお店では労働ビザの手続きはできない、と言われました。お店側にもかなり負担がかかりますから。

なので、まずは日本で学生ビザを取りなおし、そこからフランスへ戻りました。どこか違うお店で労働ビザに切り替えてもらおうと思い、お店のシェフのご紹介で、フランス人がオーナーシェフのビストロで働けることになりました。

そのお店が、私にとってフランス人しかいない環境で働く初めての機会でした。フランス語も満足にわかりませんでしたし、伝票に書いてあるフランス語のオーダーもアルファベットの書き方のクセが強く、分かりづらい。毎日のように怒られて、バスの中で泣いて帰っていました。

その上、働き始める前にそのフランス人オーナーと労働ビザへ切り替えていただく約束をしていたのですが、それどころか給料すらも満足に払っていただけなくて……。3ヶ月働き、辞めさせていただくことにしました。その3ヶ月働いた間に頂いた給料は、1000ユーロの小切手を一度頂いただけでした。

その事を、当時住んでいたフランス人の大家さんに話すと「それはおかしい」と言われ、簡易裁判所を通して手紙を書いてもらい働いた分の給料の幾分かは戻ってきました。ただ、一連のできごとがショックで、人間不信になってしまいまして。2ヶ月ほど引きこもってしまいました。

思い通りに行かないことばかりですね……。苦難の連続です。

吉冨氏:
フランス語もまともに喋れない。友人も家族もいない。はるばるフランスまで来たのにダメだった。未熟で弱い自分は、もう死ぬしかないのかな。とまで思いつめたりもしました。
どうにか立ち直り、生活費を稼がないと生きていけないので、パリのうどん屋さんで少しの間働かせていただきました。労働ビザを取っていただけるという話にもなりましたが、そうなると数年そちらで働かなくてはなりません。もちろん、パリには日本料理をやりに来たわけではありませんでしたから、辞めることにしました。
その後、知り合いの日本人シェフのいるフランス料理店で働かせていただくことになりました。

労働ビザの手続きもしてあげる、と言っていただきました。ただし条件があって「労働ビザの申請はしてあげるけど、申請費用は自分で工面するように。」と言われて、2〜3000ユーロする費用を自分で負担することに。6ヶ月間、手取りの給料は600ユーロ程度でした。

当時住んでいた家の家賃が460ユーロでしたから、それに光熱費、生活費、インターネットや電話代などを足すと月々貯金は減っていくばかり。
更に学生の身分でしたので、語学学校の学費も払わなくてはならず、わずかしか残っていなかった貯金が更にどんどん減っていく生活でした。

しかも、労働ビザの申請にお金を払っても、それを手に入れることができるかはわからない。許可するのはフランス国です。当時はサルコジ政権で、移民を排除する政策が進んでいましたから、本当にビザが下りるか不安でした。これで取れなかったらもう終わりかなと思い詰める日々でした。

それから数ヶ月経ったある日、結果の通知が来ました。運良く労働ビザを得る事ができたのです!これは本当に嬉しかったですね。これからはもっと頑張れる。働きたいお店で胸を張って働けると思いました。

L'Ambroisie(ランブロワジー)

L'Ambroisie(ランブロワジー)

お問い合わせ
0033(0) 1 42 78 51 45
アクセス
9 Place des Vosges, 75004 Paris- France
http://www.ambroisie-paris.com/
営業時間
ランチ:12 :00〜13 :45
ディナー:20:00〜21:45
定休日
日曜・月曜