Foodion │ 一流シェフ・料理人のプロフェッショナル論。

カウンターに立って生まれた覚悟。お客さまに喜んで頂く為に料理を作る。

三科 惇
神楽坂「石かわ」の姉妹店として2009年に開店した「蓮」は、料理長の三科惇氏(32歳)をはじめ3人の若手スタッフで切り盛りするカウンターメインの日本料理店。にぎやかな神楽坂通り沿いのビルにあるが、店内に一歩足を踏み入れると、格子のエントランスの向こうに静謐な空間が広がる。料理はおまかせのコース(12000, 17000)の用意がある。素材のおいしさを素直に引き出した品々に確かな技術が感じられる。

三科氏は「石かわ」で23歳から煮方を務め、30歳で「蓮」の料理長に就任。『ミシュランガイド東京 2016』では、2ツ星を獲得している。料理人として順風満帆に歩んできたように思えるが、修業を投げ出しかけた経験もあるという。その壁をいかにして乗り越え、どのように成長してきたのか、また、店づくりの工夫についてうかがった。

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■「日本料理の世界は厳しいからやめろ」と言われ、逆に意欲を燃やした

料理人を志したのはいつごろですか?

物心ついたときから料理に興味があり、小学生になったころには「料理人になりたい」と思っていました。母が料理好きだったので、影響を受けたんでしょうね。お菓子もよく作りました。バナナや野菜を使ったパウンドケーキとか……。

 

子どもが作るお菓子にしてはヘルシーですね。

小学校低学年の時に腎臓病になり、高校生になるくらいまで塩分と糖分を気にしながら生活していました。おいしいかどうかというよりは、常に塩分や糖分のバランスを気にしていました。高校生まで刺激物をほとんど口にしていなかったので、自然と舌や嗅覚が敏感になったところはあると思います。料理の世界に入るまではまったく気づかなかったのですが、煮方として味つけをするときに、子どものころからの経験が生きているなと感じました。

 

ご病気は大変でしたが、料理人としての舌を自然と養うことができたんですね。ところで、料理の中でも日本料理の世界をお選びになったのはなぜだったのですか?

高校時代はイタリアンのシェフに憧れて、イタリアンレストランでアルバイトもしていたんです。当時はイタリア料理のブームでテレビにもイタリアンのシェフがよく登場していて、かっこいいなあと。ところが、イタリアンレストランのアルバイトでお世話になった先輩のご両親が和食をやっていて、何回か伺う機会がありましてね。その時に料理人さんの凜とした姿に憧れたんです。イタリアンやフレンチも素晴らしいけれど、日本人として生まれて日本料理を文化として伝えることができたら、大きなやりがいがあるだろうなと。そこで、先輩に相談したら「日本料理の世界は厳しいから絶対にやめろ」と言われて、逆にやってみたくなって(笑)。

 

高校卒業後は東京・国立の「エコール 辻」にお入りになったんですよね?

はい、東京で1年間基礎を学んだ後、大阪の辻調理専門学校に入りました。もう少し勉強したかったのと、卒業後の道について気持ちが定まらず、考える時間がほしかったんです。大阪での2年目は現場のスタイルでの実習授業でした。僕たちの学年は40人ひとクラスでふたクラスだったのですが、ひとクラスが料理を提供し、もうひとクラスが試食をするんです。これが大変でした。

煮方や焼き場、揚げ場といった持ち場を決められて3コースを作るのですが、40名分と数が多いうえに、コースごとにメニューもまったく違うんです。頭がこんがらがってしまい、いつも叱られてばかり。先生の口調も現場さながらで、鍛えられました(笑)。

 

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■「3年辛抱しよう」と「石かわ」に。最初は毎日泣いていた

専門学校を卒業後はいよいよ修業に?

それが、最初は講師を目指そうと考えて専門学校に残り、アシスタントとして1年間働いたんです。その時にわかったのは、生徒さんが一番知りたいのは、現場の生きた知識だということ。説得力のある授業をするには、自分にも修業経験があった方がいいと考えて東京に戻り、日本料理店でアルバイトを始めたんです。実は、5年ほど働いたら、教壇に戻るつもりだったのです。

 

そうだったのですね。修業はどうでしたか?

若くて未熟でしたし、学生時代に運動部に所属した経験もなかったので、体育会系の雰囲気になじめなくて。自分は日本料理の世界ではやっていけないのではと悩み、お店を辞めてしまいました。その後、もう少しカジュアルなお店で働こうと就職活動をしていた時に、「神楽坂の『石かわ』という店で欠員が出たから、働いてみないか」と最初のお店の料理長さんから連絡がありました。その料理長さんとおやっさん(『石かわ』店主・石川秀樹氏)が師弟関係だったんです。

 

カジュアルなお店で働こうとお考えになっていたのに、「石かわ」で修業を始めたんですね。なぜでしょうか?

最初のお店は専門学校時代の恩師の紹介でしたし、お店のみなさんにもお世話になったので、不義理をして辞めたことを申し訳なく思っていました。その上、料理長さんから次の就職先の心配までしていただき、お気持ちに応えなければと。自分の中でもやっていけるかどうか不安はあったのですが、「取りあえず3年頑張ってみなさい」と料理長さんに言われ、背中を押されました。

 

「石かわ」での修業も厳しかったですか?

初めて頭を丸め、気持ちも新たに働きはじめましたが、意欲はあっても体力がついていかなくて。最初は叱られてばかりで、「もう辞めよう」と毎日思っていました。

 

それでも辞めなかったのは?

「ここで3年頑張れなければ、その先に何をやってもダメなのでは?」という使命感のようなものがあって…。そのうちに、叱られることがだんだん少なくなって、1年半ほどたったころに煮方に入らせてもらえるようになりました。すると、少し世界が変わりました。やはり自分の作ったものをお客さまに提供できるというのは楽しくて、現場で日本料理を追求したいという思いが強くなっていきました。

 

煮方は一般的にある程度修業を積んでようやく任されるポジション。1年半で煮方とはすごいですね。

チャンスを与えてくれたおやっさんや兄弟子の小泉さん(「虎白」店主・小泉功二氏)がすごいんです。ふたりとも人材を育てることをすごく大事にしています。手取り足取り教えたりはしませんが、若手が力を試す場を与えてくれる。場が与えられると、自分の役割を果たすにはどうすればいいのかを自然と考えるようになります。ひとつのことを教わって「はい、終わり」とはならないので、課題は次々と出てきて大変ですが、成長スピードは早くなる気がします。僕が「石かわ」に入ったころは3人しか料理人がいなかったので、おやっさんと小泉さんの仕事をつきっきりで見られたのも幸運でした。

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