世界の欠けているピースを埋める、新しい料理

Restaurant Andre
Andre Chiang

■生まれた時から、シェフになることを望まれた自分

料理の道に入ったきっかけを教えてください。

私の母はずっと中国料理のシェフをしていました。私は末っ子で、上の兄とは7歳離れています。年の離れた兄や姉は全く料理に興味がなかった。そこで母は私が生まれた時から、シェフにしようと決めていたようです。

ですから、物心ついた時から、母を手伝ってキッチンにいました。一番最初の料理の記憶は、ガスコンロに手が届かないので、子供用の椅子を持って来て、その上で料理をしていた記憶です。卵焼きやチャーハンなどを作っていました。

すでに英才教育が始まっていたという訳ですね!アンドレシェフは台湾出身で、レストランクローズ後は台湾に拠点を移されるそうですが、台湾の食べ物にまつわる楽しい思い出は何かありますか?

私の家族は3代続けて、台北の士林の夜市のすぐ隣に住んでいて、夜市が大好きだった私は、学校から帰ってくる時に、必ず自宅より一つ前のバス停で降りて、夜市を歩き回って帰ったものです。

ジーンズやスニーカー、そして何よりも色々なストリートフードが売っていました。帰り道にそういったものを買ってつまみ食いするのも楽しみの一つで、家に着く頃にはお腹がいっぱいになってしまっている、などということもありました。

■少年時代に、日本で学んだこと。「料理の鉄人」との出会い。

日本に住んでいらした事もあると伺いました。

母は私が生まれたのとほぼ同じ頃から、友人のレストランを手伝いに、日本と台湾を行き来していました。

そして、私は13歳の時に、母が山梨県・甲府にオープンしたレストランを手伝うために、初めて日本に行きます。母はすでに私をシェフにすると決めていましたし、私もそのつもりでしたから。

日本語は一言もわかりませんでしたが、日本の学校に通い、友達とサッカーをしていたりするうちに、自然に覚えました。ちょうど色々と吸収する年代でしたから、2年後には読み書きができるようになりました。だから、私の本棚には、日本語の料理の本も並んでいますよ。

日本と台湾、料理をする上での違いはありましたか?

そうですね、まず日本に来て驚いたのは、食材のバラエティの多さです。

母のレストランに、日本の卵のサプライヤーがやって来たことがあります。その人が、卵黄の色がグラデーションになった7色の見本を見せてくれて、どれでもお好みの色のものが選べますよ、と言ったのがとても印象に残っています。これまでは「卵」としか意識していなかったものに、こんなにもたくさんのバラエティがあったのだと驚きました。

日本にいたことは、料理をしていく上で何か影響がありましたか?

もちろんです。日本では、料理についての考え方が変わった、衝撃的な出会いがありました。私にとって、生まれて初めて見た料理番組、「料理の鉄人」です。

母は私に、どうやって決まった大きさに野菜や肉を切るかなど、中国料理のテクニックについてたくさん教えてくれましたが、それは型どおりのことでした。

この番組を見たことで、シェフというのはクリエイティブな職業なのだ、と気づきました。坂井宏行、陳建一、道場六三郎。どのシェフのことも大好きでした。

私は子供の頃から陶芸など、芸術的なことをするのが好きでした。父は繊維会社を退職した後、中国書道に熱中するような、アーティストタイプで、私にはその血が流れているのだと思います。

また、何よりも日本で学んだのは、素材を活かす料理です。中国料理はテクニックで味を加えていく料理ですが、日本料理は、もし必要がなければ、ソースやディップは使わない、という引き算の考え方で、今の私の料理の素地になっています。例えば、寿司などは、シンプルですし、とても好きな料理です。

Restaurant Andre

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41 Bukit Pasoh Road, Singapore 089855
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定休日
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