全ての道は繋がっている、かつて外交官を目指したシェフが牽引するスロベニアの「ガストロノミー外交」

Hiša Franko (ヒサ・フランコ)
アナ・ロス (Ana Ros)

◼サービスからキッチンへの転換し、自分自身のスタイルを見つける

引き継ぐ前の「ヒサ・フランコ」では、どんなスタイルの料理を出していたのですか?

ロス氏:
義母は良い料理人でしたが、スロべニアの片田舎にあるレストランですから、食事客の嗜好は素朴なイタリア料理で、それに従った料理を作っていました。リゾット、パスタ、スロベニアのスープ、グリルした肉や魚などです。
引き継ぐ事が決まった当時、レストランの経営はあまりうまく行っていませんでした。私たちは、義母が作っていたような家庭的なイタリア料理を提供する気は最初からなかったので、料理のスタイルも変えました。

それで、何人かのキッチンスタッフは去り、2~3人の若いけど経験のあるキッチンチームが残りました。私と夫はサービスを担当して、キッチンチームが料理を作っていました。それでも、チームにはロールモデルが必要で、私がロールモデルになる必要があったのですが、当時私はこれといった料理哲学を持っていなかったのです。
ですので、厨房には常に緊張感が漂っていて、結局スタッフは全員去ってしまい、誰かが料理をする必要がありました。夫はソムリエでしたから、私がキッチンに入ることになったのです。

画像提供:Suzan Gabrijan

それまでプロとして料理をしたことがなかったのに、大変ではありませんでしたか?

ロス氏:
はい、そんな時に助けてくれたのが、ミシュランの星つきレストランをやめて、料理学校で教えていた、夫の友人でした。彼は家族のために、拘束時間の長いレストランでの仕事を辞めたのですが、時々料理の現場に触れたいと考えていたのです。

家族が自然の中で楽しんでいる間、彼は私に料理を教えてくれました。例えば、正確な調理技術や、どうすれば料理を失敗しないか。スロベニア料理のメニューも作ってくれ、いくつかのメニューは今も提供しています。
最初は月に2回、週末に来ていたのが、2ヶ月に1回と、徐々にその頻度を減らしていきました。
私たちは最初から、地元の食材と季節に捧げる料理、とコンセプトを決めていましたが、彼の料理に影響を受けすぎてそこから踏み出せなかった時期もありました。

ちょうどその頃に、子どもが生まれて海外にも行けなくなりました。ですが、今思うとこの状況は、自分自身のスタイルを見つけるのにとても重要な時期だったと思います。100%ローカル食材を使い、伝統的な料理を低脂肪にしてハーブを加えるなどして、繊細な味わいにしたり、というスタイルを、こうして確立していきました。
多くの人を雇うお金はありませんでしたから、2~3人新しい厨房スタッフを雇って、今考えると、ありえないくらいの長いメニューを作っていましたね。

朝7時に起きて、同居している義両親のところに子どもを連れていき、深夜まで働く毎日でした。
2004年当時作っていたのは、前菜7品、魚4品、肉5品のコース。アラカルトもありましたから、とても忙しくて、自分がまるで機械のようだと感じたこともありました。その後、徐々に時間をかけて、料理自体を複雑にして、メニューの数を減らしていきました。
本来は、料理の哲学を確立してからレストランをオープンするのが良かったと思います。料理は変わっても料理哲学は変わらないからです。

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■150万ユーロをかけて、レストランを改装。ガストロノミーの実現のために続けたこと、「シェフズテーブル」への出演

料理哲学を確立すると同時に、地元の人の嗜好を変えていこうともされたのですか?

ロス氏:
私のレストランでは、美味しいけれども変わった食材、例えば鹿の心臓を提供することもあります。こういった料理は、地元の人には受けません。彼らを変えるのは難しいので、世界から人が来るレストランにする必要がありました。

提供するものが変われば、来るお客様も自然に変わってきます。地元客の嗜好に合わせるのではなく、私たちの料理を食べたい、と世界からお客様が来てくれるようにしなくてはいけないと思いました。
そのために、2005年に、150万ユーロをかけて、レストランを改装したのです。若かった私たちには大金でした。

さらなる挑戦だったと思いますが、きつくて辞めたいと思ったことはありませんでしたか?

ロス氏:
もちろん、気が弱くなって辞めたいと思ったことはあります。でも、私はスキーのスロベニア代表選手として、マイナス20度の気温の中、ちっぽけなスキーウエアだけを着て、時速70キロでスラロームをするような子ども時代を過ごしました。厳しい状況の中でもモチベーションを保ち、規律を守ることを学んできたと思います。

私たちには投資家もいませんし、子どもたちを食べさせる必要がありますから、まさに生き残るための戦いでした。シェフとオーナーシェフは違います。オーナーシェフは経済的な理由を考えて行動しなくてはなりません。
料理を変えたことで、元々の常連客はいなくなってしまいましたが、徐々に新しい客層が私たちのレストランを訪れるようになりました。まず、やって来たのは南ドイツやフランス、スイスからの富裕層のフィッシングを楽しむお客様で、彼らは美食への理解がありました。次第にヨーロッパで知られるようになっていったのです。

画像提供:Suzan Gabrijan

ヨーロッパから、さらに世界に知られるようにするために、他にどんなことをしたのでしょうか?

ロス氏:
色々な料理のイベントに出たのも、一つのきっかけになったと思います。
一番最初は、2006年にフランスのトゥールーズで行われたインターナショナルガストロノミーの大会のステージです。「料理界の未来のスター」と言うテーマで、「ミラズール(Mirazur)」のマウロ・コラグレコ(Mauro Colagurelo)や「ドン(D.O.M.)」のアレックス・アタラ(Alex Atara)、「マンレサ(Manresa)」のデヴィッド・キンチ(David Kinch)などと共にステージに出たのです。

当時私は無名で、独学で料理を学んだという意味でも異色でした。その他にも、イタリアのフードイベントにも参加しましたし、こういった場を通して、人脈が広がりました。
2010年に、ニューヨークでの私のスピーチを、イタリア人ジャーナリストのアンドレア・ペトリニ(Andrea Petrini)が気に入ってくれて、世界の色々な場所のフードイベントに招待してくれました。ポーランドで料理のデモンストレーションをしたりもしました。

中でも状況が大きく変わったのは、動画配信サービス大手の、Netflix(ネットフリックス)の番組、「シェフズテーブル」でした。撮影に3週間かかる、と言われてどうしようか迷いましたが、結果として受けてよかったと思います。
この番組のおかげで、世界的に知られるようになったのです。オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカなど、今では、どのテーブルにも違った国籍のお客様がいるようになりました。

Hiša Franko (ヒサ・フランコ)

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