進化をつづけることが、料理の未来につながっていく

アニエルドール(agnel d'or)
藤田 晃成

◼母さんの料理より、僕がつくった方がおいしいんじゃない?

大阪出身とのことですが、子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

藤田氏:
生まれも育ちも大阪の河内長野で、父はサラリーマン、母は公務員、姉一人というごくごくありふれた普通の家庭で育ちました。ただ、母が料理上手だったもので、いつの頃からか食べることが好きになって、料理づくりにも自然と興味を持つようになっていました。小学生の頃から料理人になってみたいな、という想いはありましたが、まだまだ漠然とした憧れのようなものだったと思います。中学校の頃にテレビドラマ「味いちもんめ」の影響なんかも受けて、本格的に「料理人ってかっこいいな」と思うようになりました。その頃から母の料理を手伝っていて「母さんがつくった料理よりも、僕がつくった方がおいしんじゃない?」なんて言っていました(笑)。野菜炒めをつくったりしていたのを覚えています。

高校生になると、料理人になる気持ちはさらに強くなっていました。両親にも、大学には行かずに専門学校に行きたいという話をしていました。本心ではどのように思っていたのかは知りませんが、特に反対することもなく希望通りに専門学校に進学させてくれた両親には感謝しています。僕の性格をよく知っていますから、人が何を言っても自分で決めた道を変えないことも理解してくれていたのではないでしょうか。高校生の時は焼き肉屋さんでバイトしていて、厨房を手伝っていましたから、卒業する時には包丁は使えるようになっていました。

小学生の頃から憧れた料理の世界。専門学校では意欲的に勉強されたのでは?

藤田氏:
いや、それがですね、まったくまじめに通わず遊んでばかりいたんです。せっかく高い学費を払ってもらっているのに。若い頃の僕は、本当にどうしようもないやつだったんですよ。

専門学校は、当時から有名だった辻調理師専門学校を選びました。「選びました」というよりも、他に料理の専門学校があることすら知らなかったんですけどね。何の料理を勉強しようかと考えた時、最初は日本料理かなと思ったのですが、日本料理の世界は序列が厳しい印象があったので、もう少し自由なイメージがある西洋料理に決めました。

フレンチとイタリアンの選択肢があり、イタリアンを選ぼうと考えていたのですが、先生から「西洋料理の基本はフレンチだよ。」と言われました。フレンチからイタリアンへの転向はできても、イタリアンからフレンチは難しいとも言われましたが、本当のところはどうなんでしょうかね。僕はイタリアンのことは全然分からないので、何とも言えませんが。とにかくそう言われて、フランス料理のコースへ進学しました。

最終的に専門学校には2年間通ったのですが、どうしようもない劣等生でした。僕と同じようにサボってばかりいる友達とつるんで、好き勝手なことばかりしていた学生時代です。授業に出ても一番後ろの席で真面目に勉強していませんでした。ただ、調理の実習だけは好きで、まじめにやっていましたね。

リストランテナカモト(京都府木津川市)の仲本シェフから、まったく同じような学生時代だったというお話を伺ったことがあります。

藤田氏:
仲本シェフのうわさは、僕の耳にも届いています。京都ですごく頑張っていらっしゃるイタリアンのシェフですよね。まだお会いしたことはないのですが、一度お話を伺ってみたいと思っているシェフのお一人です。

仲本シェフと僕を同じように語るのは恐縮ですが、僕たちがいる料理の世界は、他の業界に比べて特殊な部分があると思うんです。有名なシェフが華麗に活躍していて、一見華やかな業界に見えると思いますが、すごく上下の序列が厳しくて、体育会系な要素も強いです。だから、学校で勉強ができたからといって、必ず活躍できるとは限りません。

極端な言い方をすると、飛びぬけて賢い人か、飛びぬけてバカか、そのどちらかが異才を放つ世界なんじゃないかと思います。。まじめにやっていれば答えが見つかるような仕事ではありませんから、とことんロジカルに考えて料理を突き詰めていく賢いタイプ。あるいは、何も考えず何も恐れずに目の前のことに飛び込んでいくタイプ。そんな両極端な人が大成しているように個人的には感じています。もちろん僕は、飛びぬけてバカなタイプですけどね(笑)

◼建築業、寿司屋に転職。そこで気づいたモノづくりへの思い

卒業後の進路について伺ってもよろしいでしょうか?

藤田氏:
最初は、八尾の小さなフランス料理のお店でお世話になりました。小さいと言ってもクラシカルで本格的なフランス料理をコースで提供するレストランです。シェフはフランス帰りの方で、オーダーを通すのもすべてフランス語という職場でした。

そこで僕は、サービスの仕事から始めることになりました。キッチン志望でも最初はサービスから勉強するのは当然と言えば当然なんですが、僕はキッチンの仕事を任せてもらえないことにずっと不満を感じていたんです。でも、学校でまじめに勉強していないから調理技術なんて持っていません。もちろんフランス語も分かりません。それに加え社会人としての常識もマナーも身についていませんから、まずはサービスから経験するのは当たり前のことなんです。

今でこそ理解していますが、本当に当時の僕はバカでして、10ヶ月足らずで辞めてしまいました。さて、どうしたものかな、と考えたわけですが、そこで僕は「料理人の仕事は辞めよう」と思いました。

料理人になることを諦めてしまったんですか?!

藤田氏:
そうなんです。それから3ヵ月だけですが、建設業の会社に入って、土木作業の仕事をやっていました。今までは店の中にいて仕事をしていましたが、外でやる仕事は新鮮で、しかも形が残る建物をつくっていく、という建築の仕事がすごくおもしろかったんです。

料理と建築には、どちらもモノをつくっていくという点で共通しています。建物の寸法を測って、設計図の通りに加工して、何もなかった場所に大きな建築物がつくられていく工程が、料理づくりに似ていると感じました。お世話になった建設会社の社長がいい方で、「あの建物を作ったのはうちだよ。あれも俺の作品だよ」と言って、いろいろと教えてくれました。

そんなモノづくりの仕事を体験して、僕の心はゆらぎました。形あるモノをつくる仕事は、魅力的で素晴らしいと思ったんです。そこでふと頭をよぎったのが、どうして自分は料理の専門学校にまで通わせてもらっておいて、全然関係のない仕事をしているんだろう、と。

2年間で数百万もする学費を両親に払ってもらいながら、今の自分の立場を考えた時に、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
料理の世界に戻ろう。もう一度だけチャレンジして、ダメなら諦めようと思いました。

でも、今の自分には何の技術も経験もありません。何か1つでいいから、武器を身につけたいと思い、寿司屋さんで働かせてもらうことにしました。

建築業の次は、寿司屋さんですか?!

藤田氏:
それにはちゃんと狙いがありました。寿司屋さんであれば、きっと魚をさばけるようになると思ったからです。魚をさばけることが、自分の武器になると考えました。それともう1つあります。将来、海外で働くことになった時、寿司職人としての技術があれば役に立つと思ったんです。その頃から、近い将来にはフランスに行って料理修業をしようと思っていました。

お世話になったのは、天王寺の「こいき(大阪市天王寺区勝山4-2-20 ザホワイトレジデンス 1F)」さんです。ここの大将がとてもいい人でして、今でもお世話になっているのですが、フランス料理の勉強のために魚のさばき方を学びたい、という僕の事情を聞いた上で働かせてくださいました。

「こいき」は人気店でなかなか予約が取れないですが、僕がいたころは今ほどではなく、大将も少し余裕がありましたからマンツーマンで仕事を教えてもらいました。その時に学んだ技術は、今の仕事でも大いに生かされています。本当であれば寿司屋では和包丁を使わないといけないのですが、僕の事情を理解してくれた大将が、洋包丁を使うことを特別に許可してくださいました。技術だけでなく、いろんなお店に食べに連れて行ってくださったりして、1年だけの間でしたが、本当にお世話になりました。

寿司屋さんでありながら、洋包丁を使わせてくれるなんて、理解ある大将ですね。

藤田氏:
本当にそうなんですが、またまた僕の悪い癖が出まして、わがままを言って辞めることになりました。というのも、居心地のいい環境に1年もいる僕を見て、大将がわざと発破をかけてくださったんです。「フランス料理をやりたいと言うのに、いつまでうちにいる気なんだ」と言われて、僕はその言葉を真に受けてしまいました。バカですね、ほんとに。

「じゃあ、辞めます。辞めて海外に行って修業してきますよ」と、それなら文句もないでしょ、と言わんばかりです。そして、次にどうしようかなと考えましたが、実際にフランスに行く当てなんてありませんでした。そこで、オーストラリアに行くことに。

アニエルドール(agnel d'or)

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