世界大会でも、小さな喫茶店でも同じ。 目の前のお客様を楽しませるのが、僕の仕事。

Okaffe Kyoto(オカフェ キョウト)
岡田 章宏

■コーヒー業界へと導いてくれた小川珈琲との出会い。

子どものころは、どんなお子さんでしたか?

岡田氏:
絵に描いたようなガキ大将でしたね(笑)。「将来の夢はプロ野球選手!」ってタイプです。そこの窓から庭越しに隣の建物が見えるでしょ(※注:Okaffe Kyoto店内での取材)。白い壁の建物。僕が通っていた小学校なんですよ。

要するにここは僕の地元でして、僕のことを知っている人ばかりです。京都の烏丸通りと四条通りが交差する中心地で育ったのですが、当時から背が高いほうで力もあったから、いつの間にかガキ大将になってましたね。

兄弟は、兄と弟。三人男兄弟の真ん中です。目立つことが好きで、女の子にモテたくて、小学校では野球部の四番バッターでキャプテン、中学で入部したバレー部でもエースアタッカーでキャプテン。生徒会長もやりました。とにかく人前に出るのが大好きだったんです。その気持ちは、今も全然変わってないんですけどね(笑)

進路・進学はどのように決められたのですか?

岡田氏:
高校を卒業して、最初はバー&レストランでアルバイトをしていました。当時は深く考えていなかったのですが、このころの経験が後々の人生にも影響しています。

20歳になった時、父から家業を継ぐよう言われました。父が呉服製造の個人事業主で、バブルの波に乗って商売がとても順調だったんです。三人兄弟のうち誰かが継ぐわけですが、一番コミュニケーション力が高かった僕に白羽の矢が立ちました。最初は外の世界を見ておくためにも、一旦は京都室町の呉服屋さんに丁稚奉公に出させてもらいました。高級品を多く扱っていた呉服屋さんに、「5年間あずかってください」と父が頭を下げたところ、快く受け入れてくださいました。

順調な社会人生活だったわけですね。

岡田氏:
ところが、就職当初は景気の良かった呉服業界ですが、バブル崩壊の影響が徐々に出始めます。5年経つころには「もう帰ってくるな」となっていたわけです。一方の就職先の呉服屋さんは規模も大きく、まだ大丈夫でした。

そのころにはそれなりのキャリアになっていましたから、社長からもぜひ残って欲しいと言っていただいていました。しかし、バブル崩壊の影響は思ったよりも大きく、数年後にはその会社もついに廃業してしまうのです。

それは、岡田さんがおいくつの時ですか?

岡田氏:
30歳ですね。20歳からはじめて、都合10年間は呉服業界にいた計算になります。そこから飲食業界に飛び込んで、バリスタを目指すわけですが、遅いスタートですね。

■31歳、時給800円からのリスタート。

そんな時、運命的な出会いをしたのが、小川珈琲さんだったんですね。

岡田氏:
次の仕事を何にしようか?となった時、最初に思ったのがサービス業です。人と関われる仕事で、得意のコミュニケーション能力が生かせるとも思っていました。

実は僕の祖母が、その昔に喫茶店を経営していたことがありました。また、母は祖母の喫茶店にいたことがあり、喫茶メニューがとても上手だったんです。日曜日の朝になるとサンドイッチやコーヒーメニューを作ってくれて、自然と喫茶店やコーヒーが身近な存在になっていたんです。そんな縁もあって、コーヒー業界で働いていた友人に相談しました。

その友人が言うには、将来も京都で仕事をするなら、小川珈琲かイノダコーヒさんだろう、と。どちらも老舗のロースター(コーヒー焙煎メーカー)です。

そのアドバイスを受けて、京都中の小川珈琲とイノダコーヒさんのお店を巡りました。いろんなお店を見て回る時、偶然見つけたのが「オープニングスタッフ募集!」の求人です。小川珈琲の本店がリニューアルオープンするらしく、その求人が店舗に張り出されていました。すぐに電話して面接してもらって、アルバイトをスタートしたのが、2002年1月のことです。

アルバイトからのスタートだったんですか。

岡田氏:
確か時給は800円。すでに31歳になっていて、結婚していましたから妻は心配していたと思います。それでも「自分のやりたいことが見つかるまで頑張れば」と背中を押してくれました。感謝しかありません。一時期は妻の扶養に入ったぐらいですから。

最初は苦労されたんですか?

岡田氏:
うーん、実はそうでもなかったんですよ。小川珈琲の本店は100席ぐらいある大箱で、学生バイトやフリーター、パートの女性スタッフもたくさんいたんですが、この中で一番になってやる!と思っていました。

バイトの中では年齢も一番上でしたし、社会人経験もありましたから、スタッフをまとめるのはお手の物でした。店舗で仕事をしていると、自然と業界の専門誌にも目を通すわけですが、そこで初めて知ったのが「バリスタ」という存在でした。

そのころ、東京ではカフェブームが起こっていて、エスプレッソやバリスタという言葉にも注目が集まるようになっていました。でも京都ではまだまだ知られていなくて、カプチーノを出す店も今のようになかったんじゃないですかね。

世の中にはバリスタという職業があって、その日本一や世界一を決める大会も開かれている。だったら、僕も目指そうじゃないかと思い始めました。

Okaffe Kyoto(オカフェ キョウト)

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