「どこにあるか」ではなく「誰が何を作るのか」で勝負したい

リストランテナカモト
仲本 章宏

◼0.1%の可能性が自分にはあるかもしれない

以前は同じ場所で、ご両親が食堂を経営されていたと伺いましたが、どんなご家庭でしたか?

仲本氏:
僕は定食屋の一人息子として生まれたものですから、小さい頃は厨房の隅に置かれた段ボール箱の中で面倒を見てもらっていたらしいです(笑)。父はもともと横浜で中華の料理人をしていました。その頃に知り合った母が木津の定食屋の娘だったんです。「仲本食堂」は母方の祖母が始めた定食屋で、その後に父が継いで、その息子の僕が食堂をやめて、同じ場所に「リストランテナカモト」を開きました。ですから、形を変えながらも三代続いているんです。

すぐ目の前に木津川市役所がありますが、僕が子どもの頃はまだ町役場でした。お昼時になると町役場で働くみなさんの社員食堂のような感じで、「仲本食堂」はなかなか忙しい店だったことを覚えています。僕も小学生になると当たり前のように店を手伝うようになっていまして、夏休みになると昼時の11時ぐらいから手伝いを始めて、午後の3時ぐらいまでは出前をしていました。「町役場の何階の何課まで」という具合に注文をいただいて、僕が出前に行ってお金をもらってくるんです。2時ぐらいになったらお皿を下げに行って、自分で洗って片づけて。3時頃からやっと外に遊びに行かせてもらえました。

生まれながらにして料理と一緒に生活をされてきたんですね。

仲本氏:
でも、中学・高校になるとバスケットボールに熱中し、毎日クラブ活動漬けで、ほとんど店を手伝うことはありませんでした。料理人になるという意識も特になくて、バスケットの本場であるアメリカに留学したいと思っていたぐらいバスケに夢中でした。でも留学なんて夢のまた夢で、高校を卒業したら大学に行こうと考えていたんです。

でもよくよく考えてみたら、大学に行っても特にやりたいことがあるわけでもありません。バスケは続けるでしょうが、その先に何をするのかは決めていませんでした。大学の4年間が終われば、また新しい何かを探してゼロから始めるわけです。それならば、別に進学しなくてもいいと思うようになりました。

ご両親から店を継いで欲しいというお話はなかったんですか?

仲本氏:
父の口から店を継いで欲しいとか、料理を覚えろといった言葉が出てきたことは一度もありません。また、母にいたっては、料理人にだけはならないで欲しいと言っていたぐらいです。
先ほどもお話をしましたが「仲本食堂」は、昼は町役場の職員の食堂として賑わい、夜は職員のみなさんが一杯飲んでいくような食堂です。公務員の方が仕事を終えた時間に自分たち家族は働いていて、営業時間以外でも仕込みや掃除をしたりして忙しく立ち回っています。その割には、思ったほど儲けはありません。そういう生活を僕にはさせたくなかったのでしょう。普通に大学に行って、普通にサラリーマンになって欲しいと母は考えていました。

でも母の言葉は、僕の胸には全く響いてきませんでした。なぜなら、そんなことを言う母こそ、とても楽しそうに定食屋の仕事をしていたからです。お客様においしいものを提供して、喜んでもらう仕事をいつも楽しそうにしている姿を見ていましたし、僕も店を手伝っていて「おいしかったよ」と言ってもらえると、自分が作ったわけでもないのに、とても誇らしい気持ちになれました。

料理人に限らずどんな仕事も同じですが、好きだからと言って楽ができるわけではありません。好きだからこそ、つらいことも我慢できるのではないでしょうか。スポーツも一緒ですよね。どんなに練習がきつくても、好きなら頑張れるし、試合で点を入れれば最高にうれしいものです。

そんな風に進路を迷っていると、父が料理の専門学校に行くなら学費を全部出してやろうと言ってくれました。大学では奨学金を借りるつもりだったのですが、父が工面してくれるなら、それに越したことはありません。「料理の専門学校なら、そんなに厳しくなさそうだし、あと1年は親のお金で遊べるなら言うことないな」というのが当時の本音です(笑)

同級生たちが受験勉強をしている高校3年生の夏休みには願書も出し終わって、車の免許まで取ってすっかり遊んでいました。要するに、いろんな進路の選択肢がある中で、目の前の一番安易な道を選んだわけです。

専門学校で学んだことで、今の仕事に活かせているのはどんなことでしょう?

仲本氏:
大阪の辻調理師専門学校に入学したのですが、遊んでばかりで、まじめに授業を受けていませんでした。クラスに100人ぐらいの同級生がいましたが、教室の前から3列の生徒は本当にまじめに授業を受けている人たちでした。一度社会に出てから料理人の道を目指して入学した人も多くて、とにかく意識の高い人たちです。真ん中の3列が、まあ普通に授業を受けている人たちで、僕は後の3列で授業を聞いていないグループでした。

専門学校での授業はあまり覚えていないのですが、いまでも覚えていることがあるんです。

それはある日、学校の卒業生で日本料理の有名な方が外部講師としていらしたことがありました。
生徒の前に立つといきなり

「前から3列に座っている君たちは、きっと失敗しないだろう。料理の世界でやっていける。でも、飛びぬけた料理人にはなれない」とおっしゃるのです。僕は驚きました。
「頑張って勉強している同級生に対して、何てことを言うんだ」と。

さらに「真ん中の3列は、飲食業界では働かないだろう。違う道で上手くやっていけるかもしれないのが君たちだ。そして後ろの3列にいる人たち。君たちは99.9%料理人として成功しない。」と言い切るんです。「だけど、その中から稀に、ずば抜けた料理人になる奴がいる。私も、その中にいた人間だ」と。

何だかよくわかりませんでしたが、その言葉がとても強烈で印象に残っています。
自分みたいな者でも0.1%は成功するんだと思って、ポジティブというか、都合よく受け止めましたね(笑)それからはちゃんと勉強する気持ちになりました。
出席日数がギリギリながらも何とか卒業できたのは、あの時の言葉があったからかもしれません。そのようにして専門学校での1年間は、あっという間に過ぎていきました。

◼そして料理人としての人生がスタート。いつからか抱き始めたイタリアへの憧れ

辻調理師専門学校を卒業された後というのは?

仲本氏:
最初は奈良の新大宮にあるパスタ屋さんに就職しました。飲食店街にあって、夜遅くまでパスタが食べられるのが人気のお店です。初めてオーナーシェフの方にお会いした時、快く受け入れてもらえて、卒業したらすぐに店に来なさいと言っていただきました。4月から働くようになったのですが、華やかな見た目とは違って、飲食業界の裏側は大変であることを体感しました。

専門学校ではまじめに勉強をしていなかったものですから、料理なんてほとんど何もできないのに、いきなり調理を任されて驚きました。もちろん上手くできるわけがなく、失敗するとひどく怒られました。「教えてください」とシェフにお願いしても、「裏にある本でも読めばいいだろう」という感じで…思い描いた世界とは違いました。

お店の方は、特に繁盛するわけでもなく、そのうち僕を抱えておくのも苦しい状況になったのだと思います。オーナーから「知り合いの店が人を探しているから、そっちに移ってみないか」と打診を受けました。特に残りたいという想いもありませんでしたし、断る理由もなく、次のお店にお世話になることになりました。そこで知り合ったのが、当時イタリアから帰ってこられたばかりの田中シェフです。この方の影響を受けて、やがて僕自身もイタリアへ料理修業に行くことになります。

田中シェフからは、どのようなことを教えてもらいましたか?

仲本氏:
元々はホテルで働いていらっしゃった田中シェフは、その後にプーリア州で本場のイタリアンを学ばれた方です。田中シェフのすぐ下の2番手としてキッチンを任されることになり、それからの1年半は本当に充実した時間を過ごせたと思います。

田中シェフは材料の名前をイタリア語で呼ばれるのですが、僕は全然イタリア語なんて分かりません。そうしたらホワイトボードを使って、これはこういうんだぞ、と言って時間を割いて熱心に教えてくださいました。店で提供する料理も、きちんとしたコースです。アミューズ~前菜~肉・魚料理~パスタ~ドルチェまでそろっています。「ドルチェ」という言葉を知ったのも、この時です。専門用語を勉強するのも、田中シェフから料理を教わるのも楽しかったですね。よく怒られもしましたが、どんどんイタリア料理が面白くなっていった時期でもありました。

田中シェフは、若い僕に対して「イタリア料理をやっていくなら、現地を知らなければいけない。イタリアに行くなら、できるだけ早いほうがいい」という話もしてくださいました。もちろん日本にいながら有名店のシェフになる方もいらっしゃいますが、料理の深いところまで掘り下げて学ぶなら、イタリアに行くほかありません。

日本にいてもレシピを覚えることはできます。でも「どうしてこの素材とこちらの素材を合わせて使うのか」という理由や背景までは分かりません。突き詰めて調べていくと、どちらの素材も同じ地域の特産品であったり、イタリアの郷土料理の手法が用いられていたり、歴史やバックボーンが見えてきます。こうした根本的な部分の疑問は、インターネットや料理の専門書には書いてありませんでした。知りたければイタリアに行って自分の足で探して、自分の舌で味わうしかないのです。

僕は、そういったことをもっともっと知りたくなったんです。本を何度読み直しても、僕が求める答えは見つかりませんでした。生ハムを使ったレシピを見ていても、どんな味がするのか、どれぐらいおいしいのかは1つも伝わってきません。本を読めば読むほど「本当にそうなのか?本当にそんな味がするのか?本当にそんなにおいしいのか?」という疑問が募るばかりです。いつしか芽生えた「確かめてみたい」という想いが、イタリア修業へと僕を動かしていきました。

イタリア行きの手配はどのように進められたのですか?

仲本氏:
語学留学という形でビザを取得して、シエナに行くことになりました。シエナは、フィレンツェからバスで1時間ほどにある岡の上の街です。シエナの国立大学に外国人向けのイタリア語コースがあり、とても安い値段で留学できました。それを教えてくださったのも、田中シェフです。私立の大学の5分の1ぐらいの費用で、3ヵ月は現地で生活できることが分かりました。それぐらいの費用なら何とかなると思って、インターネットで願書を取り寄せて、入学の許可を得ることができました。その間に田中シェフの店を辞め、カフェでバイトしながら留学費用を稼ぎました。そのようにして、イタリアへ行くことになったのが、20歳の時です。

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